意味ありげにほくそ笑む男

一体、誰だ

第三の男か

 

 

 

 

トラ猫がその男の脚に

まとわりつく

彼奴の飼い猫だ

やはり間違いない

 

 

 

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映画

第三の男

(1949年)

 

 

まずはあなたもご存知のアントン・カラスのツィター演奏による『ハリー・ライムのテーマ』を

  

 

 

あらすじ 

 

 

第2次大戦後、オーストリアの首都ウィーンは米英仏ソの旧連合軍に分割支配されていた。

 

 

 

 

現在のオーストリアと周辺諸国

 

そのウィーンへ、アメリカ人のホリー・マーチンスがやってくる。ホリーは作家だが、その作品は『サンタフェのカウボーイ』などの読み捨ての西部劇小説ばかりだった。ウィーンに来たのもかつての友人ハリー・ライムから仕事の依頼があったからだ。

 

 

駅での待ち合わせのはずがハリーは現れない。仕方なく宿を訪ねると、管理人から「ハリーは昨日、自動車事故で死んだ」と告げられる。

 

思いもかけない事態に遭遇して呆然とする。が、取り急ぎハリーの埋葬に立ち会うべく墓地に向かう。墓地には僅かな人数の会葬者が佇んでおり、ハリーともあろう人物の埋葬にしては寂しい。

ホリーはそう思った。

 

 

その中に美しい女性が一人いた。ホリーは彼女が気になった。

 

 

一方、ほかの会葬者は男性ばかりで、みんな何だか胡散臭い。

 

埋葬後、ホリーがひとり市街地に戻ろうとすると、心身共に頑強そうな男に「車に乗らないか」と話しかけられ、好意に応じることにした。

 

 


男はイギリス管理地区の治安担当者で、キャロウェイ少佐と名乗った。

 

二人は街の酒場で、酒を酌み交わしながら話をする。キャロウェイは、ハリーが死んでよかったという。

彼の話によれば、ハリーは密売人であり、ある意味殺人者であり、とんでもない悪党だった。ゆくゆくは命を落とすような運命にあったとも言うのだ。

 

友人を極悪人呼ばわりするキャロウェイに対して、ホリーは感情を抑えきれずに彼に殴りかかろうとするが、キャロウェイの部下にパンチを食らい取り押さえられる。部下のペイン軍曹も屈強だった。

 

 

 

キャロウェイは言う。航空券を手配するから明日にでも帰国せよ。その方が身のためだ。

 

しかしホリーはその忠告に従う気はなく、ハリーの身の潔白を証明するのが自分の務めだと思い始める。

 

やがて、彼が投宿したホテルに電話がかかってくる。会ってみると顔に見憶えがある。ハリーの埋葬に立ち会っていた男の一人だ。

 

 

彼はクルツ男爵と名乗り、自分はハリーの友だちだったという。ハリーの事故死の際にも近くにいたようで、彼はその死の様子を詳細に語った上で、自分ともう一人の友人ポペスクがハリーの遺体を運んだのだと証言した。

 

そしてホリーの質問に答え、埋葬に立ち会っていた女性はハリーの恋人アンナ・シュミットで、彼女はある劇場に女優として出演していると教えてくれた。

 

ホリーは劇場にアンナを訪ねた。楽屋でいろいろと話す裡に、彼女の話とクルツの話が食い違うことに気づき、クルツに不審感を抱く。

 

女優のアンナ

 

 

 

 

ホリーはドイツ語の通訳としてアンナに同行を頼んだ上で、再び管理人と会った。管理人は、交通事故の様子は見ていないが、遺体を運んでいたのは間違いなく三人の男だったと言い、クルツとポペスクの他にもう一人の「第三の男」がいたと言うのだ。その男の顔は見えなかったと残念がった。

 

ホリーの「何故そのことを治安担当者に証言しなかったのか」との問いに、管理人はただただ怯えて「関わりたくなかった」とだけ答えた。

 

 

 

 

 

ホリーの探求心に火が点いた。少しだけ解決の糸口が見えてきたような気がする。

 

しかし翌日、ホリーはアンナと再度その管理人を訪れると、彼が何者かに殺されていた。

そしてあろうことか自分に殺人の嫌疑がかけられており、二人は多くの地域住民に追われる始末だ。辛うじて劇場に逃げ込み、ホリーはタクシーでキャロウェイの部署に向かうが、タクシーは何故か講演会の会場に到着。

 

そう言えば、ホリーはウィーン到着の日にGHQのクラビンと名乗る紳士から講演を依頼されていたのだ。それは西部劇びいきのペイン軍曹の口利きによるものだった。

 

 

テーマは「意識の流れ」。ホリーには晴天の霹靂だった。

講演も聴講者とのやりとりもトンチンカンそのもので、GHQのクラビンは頭を抱えた。

 

 

退出者も相次いだ。

そんな中、会場にポペスコがいるのに気づいた。

 

 

ポペスコはホリーに矢継ぎ早の質問を浴びせる。明らかにホリーに敵意を抱いていた。また二人の男に何やら指示をしている。


ホリーは挨拶もそこそこに会場を脱出した。

とにかく逃げるんだ。

追っ手は迫っている。

 

 

”万事休す”か。

不本意だが、キャロウェイに救援を求めるしかない。

イギリス管理地区の治安担当部署に出向くと、彼はしたり顔で待っていた。さすが少佐だ。全てお見通しなのか。

 

その部署で初めてキャロウェイからハリーの悪行について詳細を知った。

ハリーはペニシリンを水で薄めるなどした粗悪品を大量に売りさばいて、多くの患者を苦しめていた。

ホリーはその実態の詳細に係る画像や数値などを見ることとなる。事は重大かつ深刻だ。許せることでは決してない。

 

 

 

ホリーにとって真相をさらに深く知ることは恐怖だった。

ハリーの身の潔白を証明することなど、夢のまた夢だ。それよりも社会正義はどうする。悩んだ。酒で気を紛らすしかなかった。

やはり自分はアメリカに帰国すべきだ。

そう決意する。

 

酩酊状態のホリーは、別れを告げるためにアンナの宿を訪ねる。

 

 

 

 

ホリーは、初めてアンナの笑顔を見た。しかし…

 

何故かアンナの目に涙が…

 

 

 

ホリーはアンナに率直に自分の思いを伝える。

「ハリーはもういない。僕ではダメかな」

アンナの表情が硬化する。そして複雑な思いが見てとれる。

ハリーは持参した花束をアンナの部屋に置いて出て行く。

 

 

その帰途、ホリーは、最前から誰かが自分を尾行している気配を感じ、大声で呼びかける。俺に付きまとうのは誰だ!

そうすると、ほの暗い中に、建物の入り口に立つハリーの姿があった。足元にさっきまでアンナの部屋にいたハリーのトラ猫がいる。

 

 


 

驚天動地だ。ハリーだ。ハリーは生きている!やはり彼の死は偽装だったのだ。管理人の言う「第三の男」とはハリーのことか…。

 

 

 

 

 

 

 

思いがけない邂逅だった。しかし彼の姿は瞬時に消えた。ホリーは不案内な路上を闇雲に追うが、彼を見失う。

 

 

ホリーは、ハリーを目撃したことをキャロウェイに報告した。キャロウェイは疑心暗鬼だったが、念のためにハリーの墓を掘り返す。

 

 

 

埋葬されていたのは行方不明の病院職員で、ジョセフ・ハービンという名の男だった。ハリーの手先で、ペニシリンの横流しに手を染めていた。

 

…思えば、交通事故当日、運ばれた遺体(ハービンと判明)をはじめ遺体を検分したハリーの主治医であるヴィンクル医師、クルツ男爵、ポペスコ、そしてハリー本人。その全員が事故現場に揃っていたわけである。あまりにも不可思議なことだった…

 

キャロウェイはハリーの生存を確認し、次の手を考える。


その一方で、国籍を偽っていたアンナがパスポート偽造の罪でソ連の憲兵に連行された。パスポート偽造にはかつてハリーとポペスコが関わっていた。

 

 

 

何故パスポートの偽造を? ある時、ホリーはアンナに尋ねたことがあった。

アンナは、自分はチェコスロバキアの出身で、それが分かれば本国に強制送還になるかもしれないというのだ。

 

ホリーは何としてもハリーに会いたかった。会って話したいことが山ほどあった。

会うためにはクルツらを介してアプローチするしかない。

 

 

 

 

ホリーはクルツ宅に出向き、バルコニーにいるクルツに言い放った。「ハリーはソ連管理地域にいるはずだ。俺がプラーター公園で待っていると伝えろ!」

 

果たしてハリーはやって来た。二人は公園の大観覧車に乗る。





ハリーは窓ガラスにANNAと綴ってみせ、よろしく伝えてくれという



 

ハリーは意外にも饒舌で、自らの悪行を正当化こそすれ悔恨の素振りさえない。あまりにも非情だった。

あまつさえホリーに仲間になれと強く要請する始末だった。ホリーは拒否する。

 

「その気になったら連絡しろ。あくまでも俺にだ。警察はノーだぜ」 こう言い残して去って行くハリーの姿を見送りながら、ホリーは絶望の淵に立つ。

 

 


その後、キャロウェイからハリー逮捕への協力を要請されたホリーは、アンナの保釈を条件に友を裏切るのもやむを得ないと決意する。


だがアンナの保釈についてはキャロウェイの専権事項ではなく、その是非はソ連の憲兵当局が握っており、加えて「四カ国協議」の原則が邪魔をした。

 



紆余曲折を経て、アンナは何とか釈放された。

ペイン軍曹の導きでパリ東駅行きの列車に乗る。



アンナはペインに尋ねる。「これは一体どういうことなの?」「少佐はあなたに甘いですから」

 


アンナを大きな疲労感が襲う。



だが安堵する間もなく、車窓から駅舎にいるホリーの姿に気づき、慌てて列車を降りる。

そしてホリーに激しく迫る。

この釈放は誰の差し金か、その代償は何か。

分かっていながらの詰問である。

その挙げ句、ホリーを存分に罵った。

 

 

 

 

痛いほどの剣幕だった。無理もない。

それはアンナのハリーに対する愛の表れだった。

ホリーには堪えた。辛かった。

 

 

ホリーはキャロウェイの部署を訪ねる。

キャロウェイに言う。「今夜発ちたい。あんたに協力できない」

キャロウェイも言う。「彼女のせいか? それでも私は奴を捕まえる」

 

ホリーを空港に送る途中、キャロウェイの車はウィーンで最大の小児病院に寄った。

ここにはハリーが流布させた粗悪なペニシリンの被害者が多くおり、子どもたちが苦しい治療に耐えている。整然と並んだ小さなベッドが救いを求めている。

 

 

 

 

 

それらを見て回るホリーの胸に理性と良心の呵責が大きく膨らんだ。

ホリーはキャロウェイに言った。

「あんたにゃ負けたよ」

 

 

ホリーはハリー逮捕作戦に協力すべく自ら”おとり”となって、街中のカフェでハリーを待つ。


そこへアンナが来る。

「どうしてここへ?」「クルツが教えてくれた。みんな捕まったわ。でもハリーは来ない」

 

 

だが黒いコートのハリーがカフェの裏口から現れた。それを見てアンナが叫ぶ。「逃げて! 警察がいるのよ!」

 

 

 

 

 

 

ハリーは逃げる。マンホールから下水道へ。

包囲中の四カ国の治安担当者(警官・兵士)も下水道に入り、展開する。地上でもマンホール付近は水も漏らさぬ警戒ぶりだ。

ハリーは絶体絶命だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

追跡の最前を行くのはホリー、キャロウェイ、ペイン軍曹だ。キャロウェイはハリーを逮捕したい。銃撃戦はごめんだ。

 

 

ペインが先頭のホリーを制した。「ホーチンスさん、気をつけて」と身を乗り出した瞬間、ハリーの銃が火を吹きペインが倒れた。即死だつた。

逃げるハリーをキャロウェイが撃つ。命中した。ハリーは倒れるが、身を起こし下水道をゆっくり歩く。

ホリーはペインの銃を持ってハリーを追う。

 

ハリーは地上への連絡階段に体を委ねていた。深傷を負っている。助かるまい。

ハリーとホリー。二人の目が合った。

二人の目はそれぞれが言わんとすることを了解したようだった。

それぞれがゆっくり頷いた。

 

 

 

 

遠くでキャロウェイの声がする。

「ホリー、奴を見つけたら撃つんだ!」

その瞬間、銃声が雷のように下水道に響き渡った。

キャロウェイの顔が強張った。

 

 

 

ややあって逆光の中をホリーのシルエットがキャロウェイに向かって近づいて来る。

 

 

 

 

ハリーの埋葬がしめやかに行われた。

ホリーはやはりアンナが気になる。

アンナは今回も淡々として、悲嘆を示すことはない。そそくさと墓地を後にした。

 

 

 

 

ホリーは空港に向かっている。

ホリーは同乗したキャロウェイの車を止め、並木道を歩くアンナを待つことにする。

 

 

 

 

 

道端の古い馬車に寄りかかるホリー。そのホリーに一瞥もくれることなく、アンナは真っ直ぐ前を見て去って行った。

 

 

 

 

 

 

そこには、人間のもつ懊悩を象徴するかのような細くて長い並木道が続いていた。

 

 

 

 

 

スタッフ 

 

監督…キャロル・リード

脚本・小説…グレアム・グリーン

製作…キャロル・リード

   D・O・セルズニック

   アレクサンダー・コルダ

音楽…アントン・カラス

撮影…ロバート・クラスカー

公開…1949年9月 (日本公開 1952年9月)

上映時間…105分

製作国…イギリス

 

 

 

キャロル・リード

 

1906年12月30日生~1976年4月25日没(69歳)

1940年に初めてハリウッド映画で監督を担当。第二次世界大戦中はイギリス陸軍に所属した。

戦後からは数多くのフィルム・ノワールを発表し、1949年公開の『第三の男』では、カンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞した。1953年には映画監督として初めてナイトの称号を与えられた。

1950年代からは様々なジャンルの映画を撮り続け、1968年の『オリバー!』では、ミュージカル映画初挑戦ながらもアカデミー賞監督賞を受賞した。

 

 

 

グレアム・グリーン

 

1904年10月2日生~1991年4月3日没(86歳)

『第三の男』は映画化を前提に、キャロル・リード監督のためにウィーンを舞台にした物語を書いてほしいとプロデューサーのアレクサンダー・コルダから依頼され、グリーンは小説及び脚本を執筆した。映画は大ヒットし、映画史上ナンバー1クラスに位置づけされる名作となった。ただし、グリーンが書いた原作では結末は「単純なハッピー・エンド」になっていたが、監督のリードが独自の演出を行い「苦い悲劇」にしたてた。

「スパイの経験のある作家」としても有名で、オックスフォード在学中の18歳の時に、第一次大戦で敗北して一部の地域が占領されていたドイツ大使館に雇われ、対仏諜報を行った。第二次大戦勃発時にはMI6の正式メンバーとなり、最大の裏切り者といわれたキム・フィルビーの直属の部下となって西アフリカやイベリア半島のスパイ活動に従事するが、フィルビーの権力闘争をみて

1943年に辞任している。のちに執筆した『ヒューマン・ファクター』(1978年)は、「絆を求める者は敗れる。それは転落の病菌に蝕まれた証し。」とするジョゼフ・コンラッドの引用を掲げるスパイ小説の傑作として名高い。

 

 

 

アントン・カラス

 

1906年7月7日生~1985年1月10日没(78歳)

オーストリアのツィター奏者、作曲家。映画『第三の男』のテーマ曲(『ハリー・ライムのテーマ』の名でも知られる)で有名。

ハンガリー人の家系である。12歳でツィターの演奏を始め、15歳の時には既にウィーンのホイリゲ(居酒屋)で演奏家として自活していた。

第二次世界大戦の前後を通じて、週に15ドルという薄給で妻と3人の子供を養っていたが、1948年(1949年という説もある)、ウィーンのホイリゲで演奏中に、映画監督キャロル・リードに見出され、『第三の男』の音楽担当者に抜擢された。

映画の全編にカラスのメロディが流れる。時にはスローバラードで男女の愛を語り、時には人間の焦燥や懊悩を代弁し、また時にはせわしなくスリルやサスペンスを搔き立てる。キャロル・リード期待通りのオーダーメイドのテーマ曲と言えよう。

この音楽が大人気を呼び、1949年9月には英国王室の招待を受け、バッキンガム宮殿で演奏。1951年にはローマ教皇の招待を受けてバチカン宮殿で演奏した。

『第三の男』は、ウィーンの描かれ方などについて地元では当初から不評の映画であり、その協力者であるカラスには嫌がらせも少なくなかったが、彼はこれに耐えてウィーンに住み続けた。

 

 

 

楽器 ツィター

 

      

ツィター(独: Zither、仏: Cithare、伊: Centra da Travola)は、主にドイツ南部、オーストリア、スイスなどでよく使用される弦楽器(弦鳴楽器)で、チターともいう。

日本の箏(琴)に似た形状をしているが、長さは短い。約30本の伴奏用弦と5、6本の旋律用のフレット付き弦が張られている。これを親指につけたプレクトラムと呼ばれる爪を使って弾く。

 

楽器ツィターとその演奏

"I've been waiting for you"(ABBA)


この映画のオープニングクレジットの背景に、このツィターの演奏中の動画を使っている。弦一本一本の震えが手に取るように分かる。

 

 

 

R・クラスカー

 

1913年8月21日生~1981年8月16日没(67歳)

ロバート・クラスカーはイギリスの撮影監督。
エジプトのアレクサンドリアの生まれ。

オーストラリアのパース出身。

『第三の男』の撮影が評価され、アカデミー賞撮影賞を受賞。

モノクローム映画ならではの光と影を効果的に用い、独特の映像美を創出した。さらに戦争の影を背負った終戦直後の人々の所作や表情を巧みにとらえ、観る者をその世界に誘い込む。アングルやポイント設定に手抜かりはない。

彼が関わった主な作品は次のとおりである。

 

ヘンリィ五世(1945)
シーザーとクレオパトラ(1945)
逢びき(1945)
邪魔者は殺せ(1947)
第三の男(1949)
絶壁の彼方に(1950)
ロミオとジュリエット(1954)
夏の嵐(1954)
アレキサンダー大王(1956)

空中ぶらんこ(1956)
月の出の脱走(1957)
静かなアメリカ人(1958)
コンクリート・ジャングル(1960)
びっくり大将(1961)
終身犯(1961)
エル・シド(1961)
奴隷戦艦(1962)
ローマ帝国の滅亡(1964)
テレマークの要塞(1965)
コレクター(1965)

 

 

キャスト 

 

ホリー・マーチンス…ジョセフ・コットン

アンナ・シュミット…アリダ・ヴァリ

ハリー・ライム…オーソン・ウェルズ

キャロウェイ少佐…トレヴァー・ハワード

管理人…パウル・ヘルビガー

クルツ男爵…エルンスト・ドイッチュ

ヴィンクル医師…エリッヒ・ポント

ポペスコ…ジークフリート・ブロイアー

ペイン軍曹…バーナード・リー

クラビン(GHQ)…ウィルフリッド・ハイド・ホワイト

 

 

 

ジョセフ・コットン

 

1905年5月15日生~1994年2月6日没(88歳)

アメリカ合衆国の俳優である。

オーソン・ウェルズ作品の常連として有名である。ヴァージニア州出身。

ヴァージニアの学校で演劇を学んだ後、演劇関係のジャーナリストとして働いていたが、俳優になるためニューヨークに移り1930年にブロードウェイにデビューした。そこでオーソン・ウェルズと出会い、1937年から彼の劇団に参加するようになり、ウェルズの監督作品『市民ケーン』(1941年)で映画デビュー。『市民ケーン』やキャロル・リード監督の『第三の男』(1949年)で強い印象を残した。1948年の『ジェニイの肖像』でヴェネツィア国際映画祭 男優賞を受賞し、1950年代までは主演スターとして後世に名作と評価される作品に数多く出演した。1953年には『ナイアガラ』で、かのM・モンローとも共演している。

1960年頃からは次第に脇役へ転じ、テレビ映画やテレビ・シリーズのゲスト、イタリア映画への出演が増えて行ったが、米国映画界では渋い助演者として貴重な存在だった。

 

 

 

オーソン・ウェルズ

 

1915年5月6日生~1985年10月10日没(70歳)

オーソン・ウェルズはアメリカ合衆国の映画監督、脚本家、俳優である。

映画『第三の男』などでの個性的な演技で名優として知られたが、映画監督としても数々の傑作を残した。

とくに25歳で初監督した作品『市民ケーン』(1941年)は、撮影監督グレッグ・トーランドとともに数多くの斬新な撮影技法を案出したことから、現在でも映画研究の分野できわめて高く評価されている。

その後も『黒い罠』『上海から来た女』など新しい映画言語を盛り込んだ作品を監督し、全アメリカ映画史を通じて最も重要な映画作家の一人とも呼ばれる。

 

 

 

アリダ・ヴァリ

 

1921年5月31日生~2006年4月22日没(84歳)

イタリア王国イストリア(現クロアティア)の生まれ。

国籍はイタリア。

両親ともに複数のルーツを持っていた。

1935年から映画に出るようになる。1941年の "Piccolo mondo 

antico" でヴェネツィア国際映画祭で賞を受けるなど高い評価を得るが、戦時中はファシスト政権を嫌って出演を断ったために逮捕されそうになったこともあったという。その後デヴィッド・O・セルズニックと契約して『パラダイン夫人の恋』(ヒッチコック監督)や『第三の男』、『さすらい』(ミケランジェロ・アントニオーニ監督)、『夏の嵐』(ルキノ・ヴィスコンテ監督)といったハリウッドやイタリア映画にも出演するが、強い訛りがあったために成功はしなかった。しかし、イタリアでは100本以上の映画に出演し、舞台にも出ており晩年まで活躍した。

 

 

 

トレヴァー・ハワード

 

1913年9月29日生~1988年1月7日没(74歳)

イギリス出身の俳優である。

1945年に映画デビュー。戦後にかけて、重厚な存在感を持つ俳優として活躍し、デヴィッド・リーンの

『逢びき』をはじめ『ライアンの娘』の神父役、『第三の男』の少佐役などの出演で知られた。

時代劇、歴史劇のコスチュームが似合う俳優であり、ヨーロッパの歴史上の人物を多く演じたほか、娯楽作品においても冒険物や、アドベンチャー、ファンタジー映画でも、貫禄ある王の役などで登場している。晩年の主演作『光年のかなた』では、いきいきとしたキャラクターで不可思議なファンタジーの世界に花を添えていた。

1962年(昭和37年)12月、『戦艦バウンティ』の公開で夫人と共に来日している

<出典 ウィキペディアほか>

 

 

 

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ウィーン

プラーター公園の今

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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つい先日

白樫生垣の散髪をしたばかり

なのに

若い芽がいつのまにか

ニョキニョキ

真夏の太陽を遮りそう

小さな森の向こうに

モバイル中継タワーがかわいい

 

 


 

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今回もお付き合いをいただき

ありがとうございます