アメリカ映画

「グレン・ミラー物語」

 

 

 

監督 アンソニー・マン

製作 ユニヴァーサル

公開 1954年2月

   1954年1月(日本)

   (ロードショー公開)

上映時間 115分

 

 

 

 

キャスト 

 

 

グレン・ミラー

ジェームズ・スチュアート

 

 

 

 

ヘレン・バーガー

ジューン・アリソン

 

 

 

 

チャミー・マグレガー

ハリー・モーガン

 

 

ドン・ヘインズ

チャールズ・ドレイク

 

 

 

 

カメオ(ゲスト)出演

 

フランセス・ラングフォード

 

 

ルイ・アームストロング

 

 

ベン・ポラック

 

 

 

ジーン・クルーパ

 

 

 

モダネアーズ

 

 

 

 ムーンライト・セレナーデ

 

 

 

 

グレン・ミラー 

 

グレン・ミラーはトロンボーン

奏者であり、ビッグバンドのリ

ーダー、作曲家、アレンジャー

でもあった。

1930年代から40年代の前

半にかけて活躍した。ほぼ同時

期を代表するベニー・グッドマ

ン、デューク・エリントン、カ

ウント・ベーシー、トミー・ド

ーシーらと並び称される。

一方、米国陸軍に志願し、陸軍

航空軍において航空隊バンドを

率いて海外各地を訪問、戦債や

兵員募集のための演奏を行い、

また将兵らを慰問した。

そのような中、1944年12

月、パリに向かっていたグレン

の搭乗機はイギリス海峡上空

消息を絶つ。

 

 

 

あらすじ 

 

☘️トロンボーンか編曲か

 映画はロサンゼルスの街中にある質屋の店頭に

グレンがやって来て、店主と話すシーンから始まる。グレンはいくらか金ができて、質種のトロンボーンを請け出そうとしている。

メシの種を質入れするなんて何てヤツだ!グレンはいつも自己嫌悪に陥る。

 

 

グレンにはチャミーという親友がいる。チャミーはピアニストだ。二人はロスのダンスバンドの楽団員で、ウデはそこそこだが、ほぼその日暮らしに近い。厳しい経済の煽りを受けて業界は冷えている。何年か前のウォール街の株暴落の影響はとてつもなく大きい。まさに恐慌だ。

 

グレンには夢がある。編曲家になって自分流のサウンドをつくりたい。で、ついついトロンボーンよりは譜面…となる。チャミーはそういうグレン

に呆れ顔だ。

 

ある日、質屋の店主が朗報をもたらした。

ベン・ポラックというバンドリーダーが

新たにバンドを編成して巡業に出るという。そしてそのためのオーディションをするというのだ。結果的にグレンは編曲助手とトロンボーン担当、そしてチャミーはピアノ担当として採用される。

 

巡業先のデンバーで、グレンはコロラド大学時代のガールフレンドのヘレンに電話をかけて会おうとする。真夜中にヘレン宅を訪れ、翌日、彼女を実家に連れ出して両親との朝食に同席させる。

2年間も音沙汰のない相手からの唐突で強引なアプローチを受けて、当初 ヘレンは当惑と反感を覚えるが、次第に彼の純粋さに惹かれるようになる。

二人が立ち寄った母校コロラド大学ボーダー校構内での会話。

 

 

 

「これからはどうするの?」

「シカゴからニューヨークへ。”クラブ50”に出る。」

「ニューヨークへは?」

「僕も初めてだ」

「アメリカ一周ね」

「頼りないかね、巡業なんて」

「そうね」

「だが違う。僕の行く先は決まっている。目標はね。トロンボーン吹きでは終わらない。自分の楽団で自分の音楽をやる。何というか、どの楽団も自分のサウンドと個性を持つべきだ」

「人間みたいに?どうやって違うサウンドを?」

「それは編曲だ。それぞれの楽器の組み合わせだ。ポラック楽団にはそれがある。だが僕の求めるサウンドとは違うんだ」

「どんなに?」

「どんなにかはまだ分からない。だがいつか必ず見つける。そしたら…」

「大丈夫、見つかるわ」

「そうか。なぜ分かる?」

「そんな気がするの。いえ誰だってそう思うはず。心から願い、必死になって努力すれば、

きっと見つかるわよ」

 

グレンはヘレンの瞳を見て求愛を決断する。

「いまだ!」

だが出演先に急ぐチャミーが現れ、グレンを連れ去った。

 

ポラック楽団は行く先々で好評を博し、辛口のニューヨークでもまずまずの評価を得た。

グレンは自分の編曲手腕にある程度の自信を持った。その自信にさらに力を与えたのがドン・ヘインズからの評価だった。

(ヘインズは優れた耳でのちの”ミラー・サウンド”確立に貢献したばかりか、人を鑑る炯眼も有し、優れたマネージャーとしてグレン・ミラー楽団の礎を築くこととなる)

 

ポラックのバンドのニューヨーク公演がはねた後、グレンは惜しまれながらバンドを離れた。

以後2年間、編曲に専念する。しかしそれはまさに”鳴かず飛ばず”の冬の時代だった。

 

☘️ヘレンとミラー・サウンド

グレンはヘレンのことを思った。ヘレンに会いたい。ヘレンに胸の裡を話したい。

またまた唐突病の始まりだ。直ちに長距離電話をかける。そして結婚を申し込む。既に婚約者がいたにも拘わらず、ヘレンはそれを承諾した。

二人はニューヨークの小さな教会で挙式しホテルに帰ると、かつてのバンド仲間などに迎えられ、盛大な祝福を受けた。またホテル内で行われた高名なジャズメンによるセッションがグレンに大きな勇気を与えた。

 

ヘレンはグレンに言う。「この際、本格的に音楽の勉強をしたらどうかしら」

その一方で、こつこつと貯めた資金をもとにグレンに楽団の編成を決意させる。

 

夢にまで見た”自分の楽団”の公演は半年後、ボストンの予定だった。だが公演前、楽団の移動中に事故が発生。そのためキャンセルを余儀なくされ、やむなく楽団は解散となった。加えてヘレンも健康を害して入院する。

万事休すだ。

 

そんな中、救世主が現れる。ボストンのダンスホールのオーナーのシュリプマンだ。

彼こそがグレンの楽団を見限り、解散に追い込んだ張本人だが、彼はグレンの持つ優れた音楽性、豊かな将来性に賭けて融資を申し出た。

 

楽団は再編成され、待望の初演を控えて、一刻を争っていた。だがリードトランペッターのケガなどの困難がグレンを悩ませる。その窮地を救ったのが、まさにグレンの新サウンドだった。

 

4本のサックスに、トランペットに代えてリードクラリネットを絡ませるなど…。素敵じゃないか。新曲『ムーンライト・セレナード』のデビューだった。

 

ボストンでの好評はラジオ放送網を通じて多くのファンの知るところとなり、40年代の冒頭においてグレン・ミラー・オーケストラのサウンドはレコード、ラジオ、ダンスホール、ステージ、ジュークボックスなどで響き渡った。

グレンは押しも押されぬ”スウィング王”として君臨することとなる。

 

☘️飛行隊バンドと少佐

グレンとヘレンが順調な日々を送る一方で、アメリカは第二次大戦の渦中にあった。

グレンは自らの安定した生活を確認する中で、軍隊への志願を考える。海軍での任官は実現しなかったが、陸軍航空軍への任官が承認された。

 

 ミラー陸軍大尉(任官当時) 1942年

 

 

早速、航空隊バンドのリーダーとなり、連合国の各地を飛び回り、母国を離れて戦地で頑張る将兵たちをミラー・サウンドで励ました。

 

 

 

 

いわゆるD-dayのノルマンディー上陸作戦から約半年後の1944年12月、グレンは任地のイギリスからクリスマスの番組を放送する予定のパリへと向かうべく小型飛行機に搭乗する。

しかし搭乗機はその後消息を絶ち、グレンは帰らぬ人となった。

 

グレンの音楽に深い理解を持っていたアーノルド将軍はヘレンにグレン少佐の訃報を伝えた。

 

クリスマスの特別放送では、グレンがこの日のために編曲した『茶色の小瓶』がオープニング曲として流れた。グレンは、ヘレンが原曲の『茶色の小瓶』をこよなく愛していたことをずっと憶えていたのだ。

 

 
 
 

 茶色の小瓶

 

 

 

 

グレン・ミラー余聞 

 

☘️運命のUC-64A ノースマン

 

グレンの搭乗機は上掲のUC- 64A と同型機 でした。

オランダ生まれで、カナダ製の単発機。

連合軍諸国に採用された多目的小型機と言えます。

 

あの日の同乗者はベッセル中佐とモーガン操縦士。

3人はこの機に乗ってフランスのパリを目指していたのです。

 

そうなる前に、グレンにはロンドン・ボビントン空港発パリ・オルリー空港着の旅客便が用意されていましたが、悪天候のため便はキャンセル

となり、次便を待機中でした。

グレンの心配は、航空隊バンドの本隊がグレンより先にパリ入りした場合、混乱が生じるのではないかということでした。一刻も早くロンドンを発ちたい

 

副官のヘインズ(グレンの右腕:マネージャーでもある)の情報では、ベッセル中佐が“カジュアル便”でフランスに飛ぶらしい。中佐はグレンの窮状を知って、グレンを自分の搭乗機に招いているとも…。

グレンは是も非もなくベッセル中佐のもとに急ぎました。

 

1944年12月15日午後2時少し前に3人の乗るノースマン機はロンドン・ツインウッド空港を飛び立ちました。

濃霧の中、機を見送ったのはヘインズただひとりでした。

 

実はグレンの渡航命令には”カジュアル便”への搭乗は認められておらず、加えてグレンは指揮系統にノースマン機への搭乗を報告しなかったために、連合遠征軍最高司令部(SHAEF)はグレンの所在について何も知りませんでした。そのためノースマン機が行方不明であることに気づいたのは3日後の12月18日でした。

 

♦行方不明になった原因は何か?

誰もが抱く最大の関心事です。

諸説ある中で、第8空軍調査委員会は1945年1月20日、「UC-64A  ノースマン機がイングランド海峡上空で墜落したのは、人的ミス、機械的故障 、そして天候の組み合わせによるものである」と判断しました。  

 

Miller was on standby for an earlier flight on December 13, but it was canceled due to bad weather in France. His reservation on December 14 was also canceled. Miller grew frustrated and impatient, fearing that arrangements would not be made in time to accommodate the movement of his unit to France. On a telephone call to Haynes, he learned that a mutual acquaintance, Lieutenant Colonel Norman F. Baessell of the Eighth Air Force Service Command at Milton Ernest, was flying to France on Friday, December 15. It was to be aboard a Noorduyn UC-64A Norseman assigned to him and piloted by Flight Officer John R. Stuart Morgan. Baessell invited Miller to join them.

Miller's travel orders did not authorize him to board a "casual" flight and he did not report his intentions to his chain of command, so SHAEF was in the dark concerning Miller's whereabouts. Although AAF and RAF combat missions flew that day, as well as numerous transport planes, the RAF Training Unit at RAF Twinwood Farm, near Bedford, had stood down, but the aerodrome was open. At 13:45 hours (1:45 pm), Morgan landed at Twinwood, boarded Baessell and Miller, and took off at 13:55 hours (1:55 pm). The UC-64 and its occupants were never seen again. The next morning, the Battle of the Bulge began. The Eighth Air Force and SHAEF did not realize that the UC-64 with Miller aboard was missing until three days later, on Monday, December 

18, 1944.

 (英語版 ウィキペディア)

 

☘️名 J.スチュアート

本作でグレン・ミラー役を演じたのはジェームズ・スチュアートです。

ジェームズ・スチュアートは裕福な家庭に生まれ、名門プリンストン大学を出たインテリです。

いわゆるアベレージ・ジョーの善良な役柄をほぼ忠実に演じ、その誠実な人柄も相俟って「アメリカの良心」と称されています。

名作『フィラデルフィア物語』でオスカーの主演男優賞を獲得しました。

 

第二次世界大戦中は率先して軍隊に志願。陸軍航空軍のB-24爆撃機パイロットとして活躍しました。出撃回数は20回、飛行時間は1800時間にも及び、1945年3月に大佐に昇進しました。

大戦後の1959年7月には空軍准将に昇進。

1968年3月に空軍を退役し、その後少将に昇進しています(ハリウッドの俳優としては最高位)。

 

親友のゲイリー・クーパーが『ヨーク軍曹』でアカデミー賞の主演男優賞を獲得した際には、堂々と軍服姿でプレゼンターとして授賞式に出席し、クーパーにオスカー像を手渡したというエピソードは有名です。

 

また『翼よ!あれがパリの灯だ』での迫真の演技や細かい所作にも元パイロットならではのプロフェショナリズムが窺えます。

 

1985年の第1回東京国際映画祭で来日し、協賛企画であるユニヴァーサル映画創立70周年記念フェスティバルにゲストとして参加し、舞台挨拶で本作『グレン・ミラー物語』などに触れてスピーチしました。

舞台登場の際にファンからの大歓声と万雷の拍手に少し戸惑いながらも、さすがにハリウッドの大

スターの面目躍如たる佇まいでファンを魅了しました。

 

その他にも来日の形跡はあるようで、筆者の好きな作家である向田邦子さんとのツーショットにもそれは見えます。

その写真は『向田邦子ふたたび』(文藝春秋社)所収のもの。

177ページに掲載されています。

キャプションには「ジェームズ・スチュアートと

(雄鶏社時代)」とあります。

若くて聡明そうな邦子さんとスチュアート氏が雑誌(きっと映画雑誌)を二人で持って向かい合っているという景色です。

雑誌は開かれた状態で、たまたま右ページには

当時の封切り洋画『情事の終り』のスチル写真が、左ページにはスチュアート氏のブロマイド写真がページいっぱいに載っています。

邦子さんの表情は平然としていて「何かあったの?」とでも言いたそうな…。

スチュアート氏は身長191センチ、邦子さんは153センチ(自称)で、相当な身長差がありますが、お二人はごく自然にフレームにおさまっていて、カメラマンのテクにホッコリします。

 

それで気になる撮影の時期は?

雄鶏(おんどり)社時代とあるので、邦子さんが社に在籍していた昭和27年から35年ごろまでの間。

それも映画『情事の終り』の封切りの時期というと、恐らく昭和31年頃か。

そして二人が手にしているのが映画雑誌だとすると、それは間違いなく邦子さんが編集に携わっていた『映画ストーリー』だと思われます。

(違っていたらご免なさい) 

 

 

☘️雑感交々

✴️アメリカの質屋

本作冒頭の質屋のシーンを見て、アメリカにも質屋があるんだと知りました。調べて見ると、取扱商品の多様性や銀行機能などを有する、ある種のセイフティーネットになっているとか。

質種にはブランド品ばかりでなく、グレンのようにメシの種であるトロンボーンや普段に乗っている自転車、ついさっきまで弾いていたギターなど…。

また銀行口座を持たない人々のための小口金融窓口の役割などがあるが、金利は決して低くはないのが実情だそう。

店舗が大通りに面してあり、大きなショーウィンドーに……LOAN CO. などと大書してあるのが印象的です。我が国では、どちらかというと、あまり目立たないような配慮がなされているようで、

それがお国柄かと…。

 

アメリカ以外にもフィリピンなどのアジア諸国、ヨーロッパ諸国にも質屋機能を有する店舗はあるようです。

イギリスではインターネットを介するオンライン質屋が、フランス・パリには公営の質屋が、イタリアには中世時代に教会や修道院が始めた歴史ある質屋もあるとか。

 

✴️サン・テグジュペリのこと

第2次大戦中に搭乗機と共に消息を絶った文化人にアントワーヌ・サン・テグジュペリがいます。彼はグレン・ミラーとは何の関係もありませんが、グレンが消息を絶つ4カ月半前の1944年7月末、地中海上空で行方不明になりました。

 

彼はフランス人の作家であり、パイロットでした。代表作に『夜間飛行』『星の王子さま』などがあります。


若くして飛行士、郵便輸送のパイロット、兵役に就いて飛行連隊に所属するなどしてパイロット稼業を続ける中、作家としても活躍し、その著作は

世界中で読まれました。

第2次大戦で召集を受け、飛行教官を務めますが、前線への転属を希望し、それを実現させます。そしてその延長線上に、彼の搭乗機の行方不明という事態が生じます。

具体的には、コルシカ島からフランス内陸部の写真偵察のために単機出撃するのですが、そのまま帰還することなく消息が絶たれました。

 

  サン・テグジュペリ(1942年5月)

 カナダのモントリオールにて

 

彼の行方不明は永く続きますが、1998年9月になって、南仏マルセイユ沖の海域で彼のブレスレットと思しきものが発見されます、そしてその発見を受けて、改めて広範囲な探索が行われた結果、2000年5月に、それまでに引き上げられていた*F-5Bの残骸が彼の搭乗機の一部であることが確認され、サン・テグジュペリの戦死が確定しました。 

 

 海中から引き上げられたブレスレット

 左上にアントワーヌの名が見てとれる

 


 *テグジュペリの搭乗機とされるF-5Bは、アメリカ・ロッキード社のP-38ライトニングの偵察

型だと言われています。


 


       🍀  🍀  🍀




《ミュージック・ビデオについて》

 ユーチューブからお借りしてブログに埋め込んだ

ビデオがうまく再生されないかもしれません。

私の場合、PCでは何とかOKですが、スマホ(iPhone )ではエラーメッセージが出るだけです。

何度も作業をやり直してみましたが、ダメでした。爺やのやることですから、きっとどこかでヘマをしていることが考えられます。

ミラー・サウンドと映像が出ないという失礼がありましたならば、どうかお赦しくださいませ。


  


          🍀








 我が家の哲学者です

 17歳になって半年

 以前は私を見ても遠くで知らんぷり

 でも今は「おい、近いよ」というほどに

 さあ、この先どっちが悟りを

 向こうに分がありそうです