くま姉妹の認知症介護日記

くま姉妹の認知症介護日記

若年性認知症の母の介護記録~自宅介護&遠距離介護~

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@妹

 
強烈な不穏がでるようになって約三週間、東京に戻っても母のことを考えるだけで心臓がドキドキして胃が痛くなる日々。
食欲がどうしても出なくて体重も4kg落ちました。
自分が倒れる訳にはいかない、という気持ちの一方で逃げたくて仕方ない。 
鋼のメンタルを自認していたので自分の状態にかなり戸惑いました。
 
姉はそんな中冷静で、強い不穏の対策を編み出してくれました。
あ、始まるなと感じたら病室の内側から鍵をかけて、部屋の中で母の後ろにまわるなどして一旦視界から外れる。部屋から出られないようにしてしばらく放置するというのです。
鍵がかかっていることに対して怒り大声を出しても放置。(視界にはいってしまった時や相槌が必要な時は臨機応変に)
 
しばらくすると疲れるのか静かになるので、そうしたら目の前に現れて落ち着くような言葉をかける。
母の場合、唯一認識できる母の弟の名前を出し、明日の朝その弟が来てくれるってと声をかけるのが一番効果的で、一発ではきかなくてもそれを何度か繰り返すと段々落ち着く。
興奮状態は長くても一時間半以上続くことはない、というのです。
 
最初は言われた通りにしても怖くて仕方なかったけれど、本当に一定時間耐えると落ち着くので段々慣れて平常心で見守れるようになりました。
母にとっては辛いのだろうと思うし、身体拘束ではないけど監禁なので正しい対応とは言えないかもしれませんが、この方法のおかげで一番辛い時期を乗り越えることができました。
 
ちなみに、内側から鍵をかけるのは他の人に迷惑をかけないためです。
他の入院患者さんはもちろん、看護師さんやPTさんに大声をあげる母をみるのがかなりのストレスだったので、姉が考えたこの対応は私達家族にとっては必要で、大きな救いになりました。
 
怪我の傷み、なれない場所、知らない人達、歩けないストレス、そして入院時から処方されるようになった精神薬と眠剤。
色々な要素が絡まって起こった強烈な不穏は、転院から約一ヶ月でほぼ姿を消しました。
先週末は家にいたときとほぼ同じ感じでとても穏やか。
良かった、本当に良かった笑い泣き
 
 
以前読んだ銀色夏生さんの本で、辛いことがあると思い出す詩があります。
 
「長くみてきて分かったことを言う。
長くみてきて分かったことは
短い間で分かることと
少し違う。
 
短いものでも
その後というのがあり
長いものでも
これからがある。
 
途中である今の時点で
ある種の感想を言うのは自由だが
今がおわりでないことだけは確かだ」
 
細部まちがえているかもしれませんがこんな感じだったと思います。
 
今回母に対して、こんな風になってまで生きている意味あるのかな、と思っていました。
会いに行くのが苦痛で仕方なかったけど、逃げなくて良かったと今は思います。
 
自分も辛いのに励まし、前向きな姿を見せ続けてくれた姉に感謝。
迷惑かけまくっているのにいつも笑顔で大丈夫ですよと言ってくれる看護師さんやPTさんにも心から感謝。
ありがとうございますm(__)m