あたりまえ のありがたさおねがい

失って初めて気づくありがたさ。

手足がある事、

あたりまえを皆は気づかず、感謝せず

を詩に綴った今は亡き医師 井村和清さん。


「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」


いつだったのか記憶は定かではないけれど、

話の内容も定かではないけれど、

TVで見た覚えがあるキョロキョロ

題名だけは記憶があった。

飛鳥って名前いいな!なんて

子供心に思った覚えがある。

そして、後に出会う同級生に

とても綺麗なあすかちゃんがいて、

そんな出会いも記憶にプラスされて

「飛鳥」って名前いいなとなっていただけの記憶。

半世紀の人生の中で時々思い出す照れ

そんな感じ。

作者も内容も失礼ながらホントに覚えてないキョロキョロ


そして、冒頭の

あたりまえ

の詩。

これはダンナの実家やら

祖父母の家に貼ってあった詩。

手書きをコピーしたもので

良い詩だな〜とは思っていたが

誰の作かまでは気にしていなかった。

そのコピー紙がボロボロになり

義母から新しくしたいとお願いされたニコニコ

その時に渡されたのが

まさかの書籍

「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」

だったびっくり

何十年ぶり?の記憶との再会。

思わず、調べた。

亡くなったのって32歳だったんだガーン

著者の年齢を遥かに超えた年齢になった今

ありがたく読ませていただいたラブ

あたりまえに今がある事に感謝照れ





『あたりまえ』 井村和清作


あたりまえ

こんなすばらしいことを、

みんなはなぜよろこばないのでしょう

あたりまえであることを

お父さんがいる  

お母さんがいる

手が二本あって、足が二本ある

行きたいところへ自分で歩いてゆける

手をのばせばなんでもとれる

音がきこえて声がでる

こんなしあわせはあるでしょうか

しかし、だれもそれをよろこばない

あたりまえだ、と笑ってすます

食事がたべられる

夜になるとちゃんと眠れ、 

そして、また朝がくる

空気をむねいっぱいにすえる

笑える、泣ける、叫ぶこともできる

走りまわれる

みんなあたりまえのこと

こんなすばらしいことを、

みんなは決してよろこばない

そのありがたさを知っているのは、

それをなくした人たちだけ

なぜでしょう

あたりまえ

 ※NON BOOK [飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ] より抜粋