私はよく『頑張れ』と言う事を耳にする。
得に何も無い時でも『頑張れ』といわれる。
私が捻くれているからなのか
『なにを?』と聞いてしまう(笑)
私の小学生の頃の通知表には
『よくできる』『できる』『がんばろう』という三段階の担任の先生の評価が
書かれていた。
頑張れとは無責任な言葉だということを聞いたことがある。
親が子供の『勉強を頑張りなさい』というのをよく見るが
はっきり言って無責任な言葉だと私も思う。
子供は親が勉強している姿を見ることなどあまり無いでは
ないでしょうか?また勉強していたとしても内容が違いすぎる。
親も確かに子供のころは勉強していたでしょうが
その姿を子供は見てはいない。親が『自分は勉強していた』というのは
更に逆効果だと思う。
子供に親が勉強しなさいということは机に向かいなさいと
いうことを指していることを子供は知っている。
勉強していないように見える人から
勉強しろと言われて大抵の人は
お前はしたのか?と疑問を持ったりするものです。
勉強を子供にさせたい親は勉強をしなさいと
言ってはいけない。
また勉強は自分のためにする物というのも
あまり賢い事には思えない。
何故ならそれが事実でも自分の為に
出せる力というのは人の為に出せる力よりも
小さいことが多いからだ。
どうせ苦労するのは自分だからいいと思ったり
楽なほうがいいと思ったりする。
日本は昔から精神論ばかりを述べる国のように感じる。
頑張ればできる、努力が足りないだけだ、我慢しろなど、
普段からよくこれに似た言葉を聞く事は無いでしょうか?
また使ってりしていないでしょうか?
確かに我慢や努力、頑張ることは大切です。
しかし意味のない努力や我慢はする必要が無いと
私は考えています。
努力をすれば必ず何かは身につきます。
しかしそれが意味の無いもの、ましてや自分の邪魔を
する物だと大変なことになります。
私の体験から一つ例をあげましょう。
私は小学生の頃勉強が嫌いで宿題を
一切やりませんでした。しかし担任の先生は
私の父に宿題が出来ているか毎日確認をとるように
いったため私の生活は地獄となりました。
宿題を強制的にさせられることにより、更の勉強が
嫌いになったことです。中学生になると宿題どころか
勉強を一切しなくなりました。
これから言えることは、学ぶ気ややる気の無い人を
無理矢理学ばせようとしても、学びはしたとしても
やる気は更に失せます。また学ばないでしょう。
私は宿題を強制的にする事で身についたのは
勉強ほどつまらない物は無いという事です。
私がこの勉強はつまらないという感覚を取り除くのに
かかった時間は七年間です。
この七年という時間を取り戻すことはできません。
つまり七年間の勉強しあてたはずの時間が無駄に
なったのです。
無駄は時として恐ろしい怪物にも変ります。
例えば食べ過ぎ、飲みすぎ、タバコの吸いすぎ、
全て死に関連しています。これらが楽しいのは
私も知っています。
しかし楽しむ程度が良いのです。
度を越えると無駄になる。
楽しむはずが楽しめない体にしてしまうからです。
自分の行動は全て身になることを忘れないことが
大切だと私は考えます。
何故なら良い事も悪い事も身についてしまうからです。
良い癖、悪い癖というのもこれに入ります。
良い努力は沢山するといいと思います。
しかし悪い努力はしないようにする事を
お勧めします。
悪い努力には苦しいだけで自分にプラスに働く
要素がほとんど含まれていない物があるからです。
無駄に努力していることに思い当たるものがある人は
その無駄な努力を思いきって捨ててしまい、新しく
意味のある努力に変えてみてはどうでしょうか?