はたのさとこです
あんこ、食べターイ\(^o^)/
食に対してあまり興味がないのですが
いま、猛烈に、あんこ食べたいです。
生きてる証拠ですね。
子どもの頃は、1日も早く大人になりたかった。ことを思い出しましたです。6・3・3考えるだけで、地獄でした。高校生ぐらいからずっと、私は25才になったら、死ぬねん!と言ってました。ことを思い出しましたです。
忘れていた記憶の欠片。なぜこのようなことを、突然、思い出したかというと…
マツコ会議を見たからです。(あまりTV見ないのにたまたま見てしもた)
巷ではホワイトヘアーなるものが流行っているそうですね。
マツコさん:なぜホワイトヘアーにしたんですか?
若者たち:「透明になりたい」「特別な人間になりたい」「儚いもの」「白いものが好き」「人と被るのが嫌」
42才の自称芸術家のおじさん:ホワイトヘアーになることで
「自由になれた」と仰っていました。
若者の主張、私、めっちゃ理解できます。
大人になった今、善く?清く?逞しく?美しく?(もうええわ!w肯定的にね)年をとったせいで、昔のように「死にたーい」とか「特別な何かになりたい」とか思わなくなりました。紆余曲折は山盛りありました。希死念慮はたまに顔を出します。(自殺願望とはちゃうよ・・)
でも…今の方が断然、自由で楽です。
ナンデカナ…???
わからんけど…。ただこう思う。
昔は、“死”に対してリアリティがなかったというか、“死”を身近に感じたことがありませんでした。悩んでいる人、ときどき私もそうなりますが、悩み中のときって、自分がいつか「死ぬ」ってことを、全く意識してないんじゃないかな。これは極論かも知れないけれど、実際に『やべっ!自分まじ死ぬわ』って体験をしたときに、、、コロッと考えが覆ります。今悩んでいることが、ちっぽけだな…と思ったり、もしもう少し寿命があるなら、絶対○○だけはしたい!という強い意思に変わったり。
そうすると、自ずと無駄なことを極力省くようになります。そんなことをやっている場合じゃないって。最短コースを取るような感じで、解決策を必死で探ろうとしますし、もはや悩みが悩みでなくなります。
仮に80歳で死ぬとわかっていたら、
自分はあと何回、お花見ができるだろうか?
自分はあと何回、大切な人のBDを祝えるだろうか?
自分はあと何回、美味しいごはんを食べて、あと何時間清潔で心地のいいベッドで眠れるだろうか?
…そんなことを具体的に考えてみるといいと思います。ひとつひとつのアクションや(ライフ)イベントが大切に思えてきますと、疎かにできませんから、『時間』がいかに貴重なもので、『命』がどれだけ尊いものかを実感しますと、悩んでいる暇なんてなくなるから。笑
でね、
自分以外のナニモノカになれるはずはないのよ。髪の色を変えたり、洋服を変えたり、環境を変えたり、そうやって気分を変えることはいくらでもできるし、必要なことです。それで“その気になる”なら、いくらでも存分にやればいい。“その気になる”ってそれだけ大事なこと。けど、自分以外の何者かになることはできぬ!と気づいたら、自分を懸命にやるしかない!わけで。そこに全精力を注ぐ、ことになるんじゃないのかな。と私は思います。
V.E.フランクル先生曰く
われわれが人生の意味を問うのではなく、
むしろ人生が何をわれわれから期待しているのかが問題なのである。
私の場合は、HSPであることで煩わしいことも多々ありますが、それを強みにして生きると決めたので、これを武器にして徹底的にまずは自分が“生きる”ことと、それを使ってひと様のお役に立つことを目的に、「ただただ生きる」をやります。
いろいろ書いてみましたが、いたってシンプルに『いきる』って素晴らしい。個々人が存在するだけで、もうあなたは『特別な存在』。そんな風に思うんです。
そんなアタシもずぼらをするときも、羽目を外すときもよくあります。いつもいつも死と向い合わせの殺し屋みたいな、生き方はイヤじゃ。楽しいこともいっぱい欲しい。だって人間だもん。それでも私たちは、不完全な人間で、すべからく動物だということを、どうか知っておいてください。
今日は、
たまに、そんな風に見つめ直すと、人生がピリッとするよ…というお話でした。
タコのお母さんの話🐙←めちゃ感動しました。
では、みなさま、明日からまた1週間
よき生命(いのち)のときをお過ごしください
うさんくさいカウンセラー はたのさとこ

