4月以降、不登校と人間関係の相談が多いなと感じてます

職場の人間関係で悩んでいると来られた方の

お話をお伺いしているとご自身とお母さまの関係が原因でした

 

不登校のお子さんの相談で来られたお母様は

ご自身とお父さまの幼少期の関わりに起因していることに気が付かれたりと

 

様々な悩みの要因は「親と子供である自分」に深く関係していることも多く

その根っこが「親離れ 子離れ」に関係してるのではと思うのです。

 

実は私自身が母親への「親離れ」ができていなかったのです。

進学で18歳から一人暮らしをし、就職は海外と

「親離れができてない人」とは無縁の人生を送っていると思っていた私自身が

親離れできていなかったと気が付いた時のショックときたら。。。

 

親元を離れているから、自分が家庭を持ち子供を育てているから

「親離れ」ができているという物理的な「親離れ」ではなく

私ができていないのは精神的な「親離れ」

「精神的親離れ」と言葉にすると寂しい感じですが。。。

 

HSPな私は外面が良く内弁慶な子供でした。

外では見えないだろうけど他人に気を使っていたので

一歩家に入るとそのストレスは全て母にぶつけていました。

母は何を言っても激昂することなく

接してくれていたので子供ながらに悪いなーと思いながらも

「でもお母さんだし大丈夫」と思い込み

わがまま放題の言いたい放題の子供時代でした。

 

大人になってからはストレスのはけ口にすることは

なかったのですがやはり悪態はついていました。

「何を言っても大丈夫、だってお母さんだし」という甘え。

 

悪態のもう一つの要因は

「昔のお母さんはこうじゃなかったのに。。。」

と母の老いを受け入れられていない私の未熟な部分。

自分が子供だった頃の「母親の記憶」を前提に

母と接していたために起こる母に対する違和感、もどかしさ。。。

多少の美化もされた「母親の記憶」を追い求めるあまり

今、目の前の母親を受け入れることができていませんでした。

自分では老いていく母親を労い受け入れているつもりでいたのですが

実際は表面上の受け入れだったのです。

 

自分は成長して大人になったと思っていたのですが、

自分だけの母親として考えるのではなく

時には母親を一人の人間として敬い、労うことが

「精神的親離れ」であり成長した大人であると思うのです。

 

結果、何が変わるかといえば

私の放つ言葉で母が傷つくことがなくなるのかと。。。

 

ずっと甘えさせて貰っていた両親に感謝するかたわら

子離れできてないんじゃない?と

感じたことを次回書かせてもらいたいと思います。