高2の後半、クラスの仲良し8グループの1人であるK美から嫌がらせを受けていた。


K美は最初は人見知りで、慣れてくるとおもしろい子。

しかし度を越すと意地悪のスイッチが入り、敵に回すと恐ろしい存在。

同じグループであろうと誰もがターゲットになる。


移動時は必ず誰かと腕を組んでいないといられない、トイレに行くときも。


さみしがり屋で繊細な暴君。

彼女はグループの中心、K美劇場となっていた


冬休み明け最初のお弁当の時間の出来事。

私の母は、残っていた正月用の蒲鉾を入れたえーん寿の文字入り。


案の定、K美がそれを見逃すハズがなく、ほかの子に目で合図をした。

同調しないと自分がターゲットにされるので、頷くしかないのはよくわかっている。


そういうことの繰り返しに疲れ果て、中途半端な正義感も手伝って、私は同調することをやめた。

彼女を諭す勇気はなかったので、無言の抵抗しかできなかったが…。


繊細(だけど自己中)なK美はすぐに察した。

自分に歯向かう者は攻撃の対象。


それ以来、言葉の暴力の嵐パンチ!

見た目や髪型などを揶揄するようなことをグループのみんなに触れ回る。

私に聞こえるように。


教室の後ろの黒板に、私の似顔絵が面白おかしく描かれていたもやもや


そんな状態でもグループは維持。

お昼は相変わらず机をくっつけて一緒に食べるという異常。

食べながらも罵詈雑言を浴びせられ、針のむしろ。


救いだったのは、ほかの6人が彼女に同調しながらも私を無視したりせず、これまで通り接してくれたこと。

わかっていた。

少しでも私のことを庇ったりすれば、たちまちターゲットにされる。


別のクラスにいる親友A子にも誰にも相談せず、当時は休むという概念もなかった。

幼少期から培った無駄な我慢強さでやり過ごした


結局最後まで和解することなく高3に進級すると、幸いK美とは別のクラスにおねがい


後から聞いた話だが、A子が私の担任T先生に、3年のクラスをK美とは別に、自分(A子)と同じにしてほしいと直訴してくれていたらしい泣

おかげで、高校生活最後の年は和やかに過ごすことができた。


卒業後、K美は就職、私は進学し、もう会うこともなかったが、15~6年程前、近くの大型スーパーで彼女を見かけたのだ。


声が聞こえてきてすぐにわかった。


地元にいたの⁉️

咄嗟にヤバいと思い方向転換💦


○○(子供?)ー!ニンニク取ってきてー!

声のトーンから、全く変わってないと確信するネガティブ


人ってそんな簡単には変わらないんだ…


その時は、声を掛けなかったことを後悔したけど、無理に関わる必要ないと、後に読んだ浅見帆帆子さんの書籍から学んだ。

 

 


猿猿猿

余談になるが、寿弁当事件よりも前に、K美がお弁当をふたで隠しながら食べていたことがある。

見るつもりもなかったのに(本当に)、白いご飯とナゲットが見えてしまった。

もちろん誰にも言わなかった。

マナーとか優しさというよりも、とにかく恐怖心の方が大きかったからだと思う。

                猿猿猿


ひらめき電球K美のように、孤独が恐い人は…

その繊細さを思いやりに変えてみてはどうか

多分誰も言ってくれないから

自分自身で気付いてほしい

今からでも遅くないよ