自分の性格形成に影響したであろう家庭環境について綴っていく。
私が物心ついた頃から、両親はいつもケンカしていた。
父はお酒を飲むと人が変わる。
「飲まなきゃいい人なのに」
といろんな人からよく言われた。
普段の父は真面目で勤勉で優しかったが、お酒が入るとタチが悪く、誰にでも突っかかるのだ。
ろれつが回らない状態で話しかけられるだけでも怖くて泣いた。
1年の内で、ケンカしていない日の方が少なかったと思う。
いちばんしんどいのが年末年始である。
クリスマスシーズンはいつも、母がジングルベルなどのレコードをかけたりと楽しい雰囲気だった筈なのに、父の休暇が始まるとあっという間に緊張状態
そのまま大晦日、元日を迎えることとなる。
既に酒が入っている父と仏頂面の母、無表情の私と弟で矛盾を感じながらおせちを囲む。
その後は祖父母の家か近所の親戚の家に集まるのがお決まりで、そこでさらに酒が入り、誰彼かまわず絡んで最悪な状態になるのだ。
中学生の頃、
「いい加減にしろー!」と
みんなの前でキレたことがあったが、
「親に向かって何だ!」と
全く効き目がなかった。
私はその場を飛び出し、近くの踏切りに向かって走った。
もうどうにでもなれという気持ちだった。
叔母と従姉が追いかけて来て、3人で号泣した。
その夜は私だけ叔母の家に泊まった。
毎年のことなのに、なぜ誰も(両親も)学習しないのか!出禁にしてくれ!
別の日のケンカの場面でも、
「もうやめろ!」と
止めに入ったこともあった。
しかし父にも母にも逆ギレされた。
「お前達のことなんだよ!」と
怒鳴られて理解に苦しんだ。
こんな生活が続いても、離婚はしなかった。
おそらく我慢だろう。
父は定年後、長年の酒が祟ったのか病に倒れ、半身麻痺と言語障害が残り、母が自宅で世話をすることに。
私は20代半ば、その間に結婚して家を出た。
その頃の両親は、今まで見たこともないくらい穏やかだった。
平和な暮らしは5年ほど続いたが、最終的に癌を患い、私が出産した1ヶ月後に父が亡くなった。
最後の方は、痛みに苦しんで可哀想だった。
私が人の顔色を伺うのは、子供の頃の境遇がベースになっていることは確かだ。
父も母も、何かしらの欠陥があったに違いない。
散々恨んだが、もう時効は過ぎた。
飲んでいないときの父は、私と弟のために懸命に働いていたことも知っている。
もうすぐ父の命日。
蒸し返されてバツが悪いだろうな。
次回は母について触れていく。