学校について思う事

 

昨夕、草加駅前のDOUTORに入ると勉強している学生が多い中で、ふと小学生の頃の記憶が蘇りました。

 

小学校の算数の時間は印象深く、教科書に書いてあることを教える先生でした。この時点で、先生なんて必要なの?と考えたりしてました。

授業では、方程式の根拠をいつも考えていました。

中でも、直角は90度、一周が360度と聞かされたとき、深く考え込んだのです。

(こう考えてしまうのもHSP気質だからなのだろうか……)

なぜ360度になってるのか?

120度にして直角が30度でも良いのでは?

先生にこっそり質問すると

「決まってるものだから覚えればいいんだ!」と頭ごなしに言われました。

それ以来、この先生には、余計なことは聞かないようにしていました。

 

みんなに協調して大人しく学生をしていましたが、不確かな歴史、無駄とも思える暗記学習の勉強にはうんざりしてました。

そう思うと、DOUTORにきてる学生達は良く勉強してるなと感心してしまうのです。

 

先日、N高 (高校では日本一の生徒数、約26千人の通信型高校) を運営している学校法人角川ドワンゴ学園理事でKADOKAWAの取締役でもある川上量生さんが物理学者の方などと対談で、この様なことを語っていました。

「有名大学には、地頭の悪い子が教育のあり方に疑問抱くことなく、言われままに点数を取るための学びをし進学して、地頭のいい子は問題視して学校行かなくなったりしている。地頭の悪い人が一流企業に就職したり、官僚になったりするので日本が心配……」

 

そんな学校教育を変えるべきN高運営や、2025年には革新的なZEN大学を設立すると川上さん達が今年発表しました。

今の義務教育の学校などつくづく要らないと思っているので、期待しているところです。

自分自身の弱さを学歴という鎧を羽織るためや、子供は、親の世間体や昔ながらの一流大学一流企業という無益な価値観を引き継がされ、ひたすらほとんど社会で役立たない勉強に時間を費やす。

柔らかな子供の時を目の前のつまらないテキストとにらめっこすること貴重な時間を費やしていいのか?学校という囲いの中で、中には凝り固まった価値観の教師の影響を受けている子供もいるかもしれない現実。心配になるのです。

 

勉強のあり方だけでなく、相変わらずあるであろあ いじめ(犯罪と言いたい)、小児愛性障害を抱えた教師による生徒への性犯罪。こんなことを放置していていいのかと思います。

 

又、そもそも社会に送り出すためでもある学校教育の教師の大半は、職業経験のない、或いは浅い人達が決められたことを教えてるのです。

今後、実業家が運営、創始している、N高、ゼロ高(ホリエモンさんが主宰)などもっと巨大化して、普通の学校なんて淘汰されることを望む無限りです。

 

レオ君は散歩タイム以外は家の中でゴロゴロしてる。

気がつけてないだけで、レオ君なりに何かしら勉強しているのかもしれないが、人間のいう学校には通っていない。だけど、きっとレオ君なりの幸せの物差しで、おかれた環境で満たされて生きてるんだろう。

 

 

内なる自分に更なる輝きを