先日、あるママさんの投稿を読んでいて、ふっと6年前の記憶がよみがえりました。
「あぁ、あの頃の息子も、そうだったのかもしれないな」と。
2020年5月。
コロナ禍の初期、緊急事態宣言の真っただ中でした。
そんな時期でも、非公式のママ友サークルで、近所の公園に集まって遊ぶことがありました。
今思えば、かなり大胆なことをしていたなと思います😂
4人くらいの親子で集まって、子どもたちは滑り台や遊具へ。
ところが。
みんなが楽しそうに遊んでいる中で、うちの息子だけは、公園の水道の前にしゃがみ込み、
🚰
ただひたすら、蛇口から流れてくる水に手をかざしていました。
「滑り台あるよ?」
「みんな遊んでるよ?」
そう声をかけても、反応なし。
手をどかそうとすると嫌がる。
当時は、まだ自閉症のことなんて何も知りませんでした。
だから私は、
「どうしてみんなと同じことができないんだろう」
「言葉も通じない」
「この子は大丈夫なんだろうか」
そんな不安でいっぱいでした。
もちろん、水道を出しっぱなしにしていることも気になりました。
周りのママたちの視線も気になりました。
でも、今振り返ると、一番怖かったのは、
「この子のことが分からない」
ということだったんだと思います。
そして、その一件がきっかけだったのかどうかは分かりませんが、その後、その非公式のママ友会に、私はまったく誘われなくなりました。
当時の私は、
「やっぱり、あの時水道遊びをやめさせなかったから、非常識な親だと思われたのかな」
「みんなと一緒に遊べない子なんて、誘っても可哀想って思われたのかな」
なんて、一人でぐるぐる考えていました。
本当のところは分かりません。
もしかしたら、全然別の理由だったのかもしれない。
でも、あの頃の私は、そう受け取ってしまったんですよね。
そして今回、あるママさんの「水」にまつわる投稿を読んで、初めて思ったんです。
もしかしたら。
あの時の息子は、ただ「みんなと遊べなかった」のではなくて、
息子なりの遊びをしていたのかもしれない。
水が流れる様子をじっと見て、
「なんで流れるんだろう」
「触るとどうなるんだろう」
「冷たいな」
「面白いな」
そんなふうに、何かを感じたり、考えたりしていたのかもしれない。
もちろん、本当に何を考えていたのかは分かりません。
でも、今ならそういう可能性を想像できます。
あの頃の私は、
「滑り台で遊ばせなきゃ」
「みんなと同じ体験をさせなきゃ」
と思っていた。
でも、息子にとっては、あの日の一番の「体験」は、滑り台ではなく、水道だったのかもしれない。
そう考えると、最近よく聞く「体験格差」という言葉についても、少し違ったことを考えるようになりました。
夏休みにいろいろな場所へ連れて行く。
博物館に行く。
旅行に行く。
キャンプをする。
習い事をする。
いろいろな経験をさせる。
もちろん、それも素敵な「体験」です。
でも、
同じ場所に連れて行ったからといって、子どもが同じ体験をするわけではない。
そして、
親が「これは良い体験だ」と思うものが、その子にとっても良い体験とは限らない。
逆に、大人から見れば何でもない水道の水でも、その子にとっては、ものすごく面白い世界が広がっていることだってある。
そう考えると、「体験を与える」ということだけじゃなく、
その子が今、何を体験しているのかを見ること。
それも、子育ての中では大切なのかもしれないなと思います。
ちなみに、水が大好きだった息子。
今でも「水への愛」は健在です😂
流しそうめんなんて、大興奮でした🥰🎋🍜
水の中を大好きな麺が流れてくる。
しかも、それを自分ですくって食べる。
息子にとっては、まさに革命だったようです🤣
あれから6年。
私自身も、ずいぶん肩の力が抜けました。
昨日の教会の集まりでも、時々みんなの輪には入らず、椅子のところで小声でトイレの真似をして遊んでいました😂
以前の私なら、
「ちゃんとみんなと遊ばせなきゃ」
「どうして輪に入らないんだろう」
と焦っていたと思います。
でも今は、
「この子のペースでいい」
「暴れたり、人に迷惑をかけたりしないなら、それで十分」
と思えるようになりました。
そして今の私が、2020年5月の私に声をかけられるなら、こう言いたい。
「大丈夫。
その子はちゃんと育つよ。
あの子が見ている世界は、今のあなたにはまだ分からないだけ。
だから、そんなに怖がらなくていい。
ママ友の輪から外れたって、大丈夫。
まだ1歳3か月なんだから。
1歳半健診も、診断も、何も始まっていない頃でしょう。
『この子は普通じゃないのかもしれない』って涙ぐむより、
ぷにぷにの手を握って、
水に目を輝かせている横顔を、もっと見ていてあげて。
その可愛い時期は、思っているより、ずっとあっという間だから。」
あの時の私は、
「みんなと同じ体験ができないこと」を心配していました。
でも今なら分かります。
みんなと同じじゃなくても、その子の中には、その子だけの体験がちゃんと積み重なっている。
大切なのは、親が用意した「体験」の数を競うことだけじゃなくて、
その子が何に心を動かされているのかを、一緒に見つけてあげることなのかもしれません。
6年前、公園の水道の前で、ただただ水を見つめていた小さな息子。
あの日の私は、それを「みんなと遊べない」としか見られなかった。
でも今は、
「この子、あの時、何を見ていたんだろう?」
と想像できます。
そう思えただけで、6年間ずっと胸のどこかに引っかかっていた出来事が、少しだけ優しい記憶に塗り替えられた気がします。
あの日の息子の世界を想像するきっかけをくださった、あの投稿に感謝です😊
そして。
体験格差を心配して、焦っているお母さんがいたら。
今日、子どもが夢中になっていたものも、ちゃんと「体験」なのかもしれません。
水道の水でも。
石ころでも。
電車でも。
同じ遊びの繰り返しでも。
大人には「そんなこと?」と思えるものの中に、その子だけの世界が広がっていることがある。
そんな世界を、ちょっと覗かせてもらえる子育てって、案外おもしろいものなのかもしれません。😊
「あぁ、あの頃の息子も、そうだったのかもしれないな」と。
2020年5月。
コロナ禍の初期、緊急事態宣言の真っただ中でした。
そんな時期でも、非公式のママ友サークルで、近所の公園に集まって遊ぶことがありました。
今思えば、かなり大胆なことをしていたなと思います😂
4人くらいの親子で集まって、子どもたちは滑り台や遊具へ。
ところが。
みんなが楽しそうに遊んでいる中で、うちの息子だけは、公園の水道の前にしゃがみ込み、
🚰
ただひたすら、蛇口から流れてくる水に手をかざしていました。
「滑り台あるよ?」
「みんな遊んでるよ?」
そう声をかけても、反応なし。
手をどかそうとすると嫌がる。
当時は、まだ自閉症のことなんて何も知りませんでした。
だから私は、
「どうしてみんなと同じことができないんだろう」
「言葉も通じない」
「この子は大丈夫なんだろうか」
そんな不安でいっぱいでした。
もちろん、水道を出しっぱなしにしていることも気になりました。
周りのママたちの視線も気になりました。
でも、今振り返ると、一番怖かったのは、
「この子のことが分からない」
ということだったんだと思います。
そして、その一件がきっかけだったのかどうかは分かりませんが、その後、その非公式のママ友会に、私はまったく誘われなくなりました。
当時の私は、
「やっぱり、あの時水道遊びをやめさせなかったから、非常識な親だと思われたのかな」
「みんなと一緒に遊べない子なんて、誘っても可哀想って思われたのかな」
なんて、一人でぐるぐる考えていました。
本当のところは分かりません。
もしかしたら、全然別の理由だったのかもしれない。
でも、あの頃の私は、そう受け取ってしまったんですよね。
そして今回、あるママさんの「水」にまつわる投稿を読んで、初めて思ったんです。
もしかしたら。
あの時の息子は、ただ「みんなと遊べなかった」のではなくて、
息子なりの遊びをしていたのかもしれない。
水が流れる様子をじっと見て、
「なんで流れるんだろう」
「触るとどうなるんだろう」
「冷たいな」
「面白いな」
そんなふうに、何かを感じたり、考えたりしていたのかもしれない。
もちろん、本当に何を考えていたのかは分かりません。
でも、今ならそういう可能性を想像できます。
あの頃の私は、
「滑り台で遊ばせなきゃ」
「みんなと同じ体験をさせなきゃ」
と思っていた。
でも、息子にとっては、あの日の一番の「体験」は、滑り台ではなく、水道だったのかもしれない。
そう考えると、最近よく聞く「体験格差」という言葉についても、少し違ったことを考えるようになりました。
夏休みにいろいろな場所へ連れて行く。
博物館に行く。
旅行に行く。
キャンプをする。
習い事をする。
いろいろな経験をさせる。
もちろん、それも素敵な「体験」です。
でも、
同じ場所に連れて行ったからといって、子どもが同じ体験をするわけではない。
そして、
親が「これは良い体験だ」と思うものが、その子にとっても良い体験とは限らない。
逆に、大人から見れば何でもない水道の水でも、その子にとっては、ものすごく面白い世界が広がっていることだってある。
そう考えると、「体験を与える」ということだけじゃなく、
その子が今、何を体験しているのかを見ること。
それも、子育ての中では大切なのかもしれないなと思います。
ちなみに、水が大好きだった息子。
今でも「水への愛」は健在です😂
流しそうめんなんて、大興奮でした🥰🎋🍜
水の中を大好きな麺が流れてくる。
しかも、それを自分ですくって食べる。
息子にとっては、まさに革命だったようです🤣
あれから6年。
私自身も、ずいぶん肩の力が抜けました。
昨日の教会の集まりでも、時々みんなの輪には入らず、椅子のところで小声でトイレの真似をして遊んでいました😂
以前の私なら、
「ちゃんとみんなと遊ばせなきゃ」
「どうして輪に入らないんだろう」
と焦っていたと思います。
でも今は、
「この子のペースでいい」
「暴れたり、人に迷惑をかけたりしないなら、それで十分」
と思えるようになりました。
そして今の私が、2020年5月の私に声をかけられるなら、こう言いたい。
「大丈夫。
その子はちゃんと育つよ。
あの子が見ている世界は、今のあなたにはまだ分からないだけ。
だから、そんなに怖がらなくていい。
ママ友の輪から外れたって、大丈夫。
まだ1歳3か月なんだから。
1歳半健診も、診断も、何も始まっていない頃でしょう。
『この子は普通じゃないのかもしれない』って涙ぐむより、
ぷにぷにの手を握って、
水に目を輝かせている横顔を、もっと見ていてあげて。
その可愛い時期は、思っているより、ずっとあっという間だから。」
あの時の私は、
「みんなと同じ体験ができないこと」を心配していました。
でも今なら分かります。
みんなと同じじゃなくても、その子の中には、その子だけの体験がちゃんと積み重なっている。
大切なのは、親が用意した「体験」の数を競うことだけじゃなくて、
その子が何に心を動かされているのかを、一緒に見つけてあげることなのかもしれません。
6年前、公園の水道の前で、ただただ水を見つめていた小さな息子。
あの日の私は、それを「みんなと遊べない」としか見られなかった。
でも今は、
「この子、あの時、何を見ていたんだろう?」
と想像できます。
そう思えただけで、6年間ずっと胸のどこかに引っかかっていた出来事が、少しだけ優しい記憶に塗り替えられた気がします。
あの日の息子の世界を想像するきっかけをくださった、あの投稿に感謝です😊
そして。
体験格差を心配して、焦っているお母さんがいたら。
今日、子どもが夢中になっていたものも、ちゃんと「体験」なのかもしれません。
水道の水でも。
石ころでも。
電車でも。
同じ遊びの繰り返しでも。
大人には「そんなこと?」と思えるものの中に、その子だけの世界が広がっていることがある。
そんな世界を、ちょっと覗かせてもらえる子育てって、案外おもしろいものなのかもしれません。😊
