英語を話せるようになるまで 大学生 本当に優秀な人たちに囲まれて | 東京 江東区猿江・住吉の少人数指導学習塾 ほっとすぺーすかたつむりのブログ(不登校、学習の遅れ、軽度発達障害にも対応)

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勉強についていけない、学習の遅れが気になる、不登校、中学生高校生の英語学習の基礎を育てたいお子さんに最適な学習塾です。大手の塾では対応しきれない、時間をかけてより具体的で生徒一人ひとりの個性を受け止めた細やかな指導を多くの保護者の方からご支持頂いています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんにちは。江東区猿江にある学習塾、

 

ほっとすぺーすかたつむりの代表、

 

金子潤(かねこ じゅん)です。

 

 

 

 

 

前回(4月30日)は、

 

 

自宅浪人の一年間は、

ラジオを聞きながら

英語を話す練習をした

 

「聞く・話す」に関しては、

できれば毎日することが

最大限の効果を生むので、

語学講座は毎日聞きましょう!

 

という内容でした。

 

留学の経験が無い私が

英語を話せるようになった、

直接のきっかけは「歌」だったということです。

 

 

 

 

今回は、

 

大学では

本当に優秀な人たちに囲まれて

刺激を受けた

 

という体験談です。

 

 

 

 

 

東京都町田市に住んでいた私は、

自宅から通える範囲にある私立大の、

英語に関する学部を受験しました。

 

今では郊外に、

多くの大学がキャンパスを展開していますが、

 

1980年代の半ばには、

まだそれほど多くの大学があるわけではなく、

 

小田急沿線あるいは乗り換えが多くなく、

それほど学費が高くない、

 

という条件で志望校を絞りました。

 

 

 

浪人している間に実力が伸び、

最終的には上智大学外国語学部を第一志望にしましたが、

結局、青山学院大学文学部に進学することになりました。

 

 

 

「赤本」などで入試問題を比べればわかりますが、

この両校、英語のレベルに関しては

相当の開きがあります。

 

現役のときにはどこにも受からなかったのですから、

そんなぜいたくを言ってはいけないのですが、

 

「上智がダメだったから青山」

 

というのは何とも気合いが入らないスタートでした。

 

実際に授業が始まっても、

「これはすごい」と感じさせてくれるような経験は、

ほとんどありませんでした。

 

 

 

しかしその状況は3年生になると一変しました。

 

それまでの必修中心の授業と違い、

3年生と4年生の授業は全てが選択で、

 

中には希望者が多く、

テストに受からないと履修できない科目もありました。

 

その一つ、

 

『スピーチ・コミュニケーション』

 

という科目を受講できたことは

得難い経験になりました。

 

この科目、アメリカ人の講師が担当していましたが、

人気のある教授のゼミを除けば、

英米文学科の専門科目の中では最も人気のある科目で、

 

テストに合格したメンバーはほとんどが帰国子女、

先生の軽口に英語でツッコミ返すような強者ぞろいの集団でした。

 

 

 

後に先生から

 

「君を合格させたのは、

 いろいろなキャラクターをそろえたかったからだ」

 

とはっきりと言われました。

 

英語の実力では、

私だけが飛びぬけて低いわけです。

 

ですが、

 

口頭で発表する、演じる、

 

などに関しては私は得意ですから、

グループでの発表などになると、

あちこちのグループからひっぱりだこでした。

 

 

 

英語で敵わなければ、

他の部分で勝負することもできる、

 

と気がついたのもいい経験でしたし、

 

 

 

何よりもこの集団の英語を話す力、書く力は抜群に高く、

その中で何とかついていこうと努力した経験は貴重です。

 

 

 

残念ながら、

努力したものの実力が大きく伸びることはなかったのですが、

 

「できない人の気持ち」を実感すること、

 

本当に優秀な人たちの英語力を目で耳で体感できたこと、

 

は私の財産です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結論

 

全国から学生の集まる大学は

高校までとは

環境がガラリと変わります!

 

 

 

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