肉のおいしさに値段をつけてはならない


どういうことか


肉のランクをつけてはならないということだ


おいしさからランクをつけてはならないということだ


なぜ命の犠牲の肉にランクをつけるのか

道徳的にもそう思うが、パッと思った根本は開発のために命が犠牲にされてしまうということだ


どのように肉のランクが詳細が決まるかよく分かっていないが、肉質などを考慮しているとなると、相関的に命の寿命、元の動物の生きた年数が関係してくることは容易に想像がつく


つまり弾力がある肉というのは、若い肉、若い命と引き換えになっているのではないかということだ


それはあってはならない


よりおいしい状態で食べたいからといって、わざわざ寿命を短くしてまで、もっと長く生きることができた命を削ってまでして、肉を生産する必要はないということだ


それは人間のエゴである


より高品質の肉を食べたいという人間のエゴのために、素の自然の動物を遺伝子改良されたり、寿命を削られたり、実験台にされるために短命にされたりするのはおかしい


そして弾力がある方が良いとなったとき、それが短命な方が良い場合、強制的に求められる肉質のために短命にされることも考えられる


もっと命を大事にするべきではないか


もっと動物を長生きさせる必要性があるのではないか


食事のための動物と考えている人が多い


嫉妬、僻みではないが、値段のために犠牲になる命を考えると高級な肉を食べる気が失せた


肉や植物命あるものを食べたくないが、生きるためにタンパク質を取らざるをえないから、必要最低限には取らざるをえないが、必要以上に高価だったりするものに抵抗が生まれたから、そういうものを私は避けようと思う


これで生きるコストも下げられるし、楽になる


肉にランクをつけてはならない


そう思いませんか?