余るのは嫌い


入院前そう考えていたことがあった


特に食事

食べものが余って食べきれず、捨てることが大嫌いだった


飲食店で食べるような、残りものなく食べることが理想だと思っていた



不足の方が良い

余っていて、捨てるくらいなら、多少不足する方が良い

そう思っていた


海外では貧しくて、食料不足に困っている地域人たちもいる


そんな人たちがいるのに、ご飯ありすぎて、捨てるなんてことはできない

もっての外だと思っていた


余って捨てるくらいなら、不足する方が良い

そういう信念があった


ただ最近その信念が覆った


イヤホンを気づいたら2つ買っていたのだ

一つのワイヤレスイヤホンだと、充電が足りず、一日中持たない


だからもう一つ買った

2つあればバッテリーは不足するところ余るくらいだと思う


最初に買ったのはこれ



後から購入したのはこれ



イヤホンに限らず、その他のものもそう

複数個買って使い分けたりしているものや、そのように計画をしているものがある


パソコン WindowsとMac

スマホiPhoneとandroid 2台持ち

車 通勤と遊び

筆記具 水性 油性


ミサンガ

コップ箸カトラリー



ゲーム機


今私が私が持っている?持つ計画をしているものでも、これくらいのリストができる


余っても、余るくらいあっても良いものと、そうではないもの


その差はどこにあるのか


考えてみた


パッと浮かぶ項目としては


・違いとしてゴミが生まれるか

・困ってる人がいるか

・命に関わるか

・贅沢品か必需品か


こういう項目が挙げられる


食料は余ると腐る

日持ちしない、保存が効かない

だから、余ったら処分しなければならないのだ


だから、余ってストックができず、廃棄することになるともったいない感情が生まれる



困っている人はいるか


世界を探すと食糧に困っている人の方が多い


自分が困ってないからといって、自分勝手にするのは気が引ける


多少の贅沢品になら良いが、食料はそうではない



また食糧の不足は命に関わる


私が食べないから、世界の食糧不足が救えるわけではないが、困っている人がいて、多くの人が命を落としている中で、余るくらい、余ったから捨てるなんてことは私はできない



そういう違いがある


一方イヤホンやパソコン、スマホ、車、服とかは保存はできる


余っていても、使わないだけで、捨てるわけではない


服は若干必需品になり、世界で困っている人もいて、余った、着ないからという理由で捨てる人や、私も断捨離をすることもあるが、服は少し食糧側に入るかもしれない


だが、電子機器などはそんなことはあまりないだろう


これが違い


イヤホンを買った自分を正当化するわけではないが、このような違いがあり、余ってもそこまで強い罪悪感がなかったから、考察してみた