前回の続きです


少し時間が空きますが、2回目の自殺を考えたのは社会人になってからです


正確に言うと社会人になるまで自殺を考えなかったわけではないですが、決定的なことがあったわけではなかったです

つまり苦しいことはあったが、そこまでひどいことはそれ以降それほどなかったです


2回目の自殺を考えたのは社会人2年目

1年目の研修の時から少し辛さはありました


私が最初に所属した会社は製造業の現場職でした

1年目は研修に当時入れられていました

同期は他に2人いました

外部からきた顧問の先輩と3年目の先輩に教わっていました


ただ私は出来が悪く半年くらい経つにつれ怒られる頻度が増え始めました

みんな同期の周りで怒られ、何をやっても怒られ、何を試してもうまくいかなかったです

報告相談しろと言われましたが、相談したら自分で考えろも言われ、考えたがミスして報告したら怒られました

何をどうすれば良いのか分かりませんでした


自分がおかしいと思った出来事、自覚もありました

私的なことですが、社会人1年目の12月兄の結婚式があり、私は祖母を会場に連れて行く役目があったので、家族とは別に会場へ向かう予定でした

おかしかったことは普通結婚式では革靴を履くが私はスニーカーを履いていたことです

タクシーで会場に向かう途中運良く気づき慌てて変えに戻ることができたが、それくらい異変に気づかずぼーっとしていました


また、ある日自宅の部屋で休んでいる時やけに臭いなと思ったらトイレを流していなかったこともありました


それくらい異変があったのです


2年目になり研修が終わり現場に配属になり、現場の人にますます怒られる頻度が増え、更に辛くなっていきました

毎日少なくとも1時間以上は怒られていました


ある日残業時間の間ずっと怒られていたこともありました

17:00から22:00まで5時間連続です

トイレにすら行くことも許されませんでした

行かせてくださいと言ったら俺の話が聞けんのかと言われました


もう死にたかった

何をしてもダメ、全てが裏目にでる

考えろと言われミスして、ミスするくらいなら相談しろ

だから相談したら考えろ

その繰り返し

どうしようもないポンコツだと思っていました


このままじゃヤバいと思いました

嫌いな親だったがどうしようもなく泣く泣く相談しました

すると少し我慢しろと言われました

2週間我慢したがダメでした

再度相談したら家に戻ってこいと言われ戻りました


病院へ行くと適応障害でした

病気だろうという自覚はありましたが、どうしようもありませんでした


病気で安心だとか、何を思ったかは忘れました

だが仕事を休めることは嬉しかったです

とにかく離れたかったです


大学は機械系の専攻でした

講義で聞いたことあった内容で、機械に挟まれれば人なんか即死すると…

そうなりたかったです

機械に巻き込まれて死にたいとも思ってました


ずっと休み時間や昼休み、家に帰ってからも死について考えていました

これが2回目の自殺願望のいきさつです