イスラム過激派のテロが激化するのと、憲法を改正することは一見何の関係もないように思えます。
しかし、実は、人間の集団心理とその影響という観点から見れば、同じ原理がその背景で働いていることが分かります。
過激派がどんどん過激化していくプロセスをまずは見てみます。最初はどの集団にも過激な意見を持った人達と穏健な意見を持った人達がいるものです。しかし、少しでもその集団に敵対する勢力が目立つようになると、その集団を守るために過激な意見を言う人達の方が影響力を持ち始めます。
本当は双方の集団とも穏健な意見を言う人達が主導権を握れば、双方の利益を模索すべく互いに交渉し、お互いの妥協点を探りながら平和共存する道は幾らでもあるものです。
しかし、どちらか一方でも過激なことを言うグループが主導権を握ると、それに対抗するために、もう一方のグループも必ず過激なことを言うグループが主導権を握るようになります。
それを見たもう一方のグループは脅威を感じて、更に過激なことを言う人達が力を持ち始めます。
この穏健派が排除されて強硬派が主導権を握るようになるプロセスで必ず使われる言葉が、穏健派に対する「腰抜け!」であり「相手に甘く見られる」であり、「理想論的で非現実的」というものです。そして「相手のやる気を挫くにはこちらが毅然とした態度を示すべき!」というのが強硬派の言い分になります。
所が、実際は「こちらが毅然とした態度を示す」と相手側はそれに脅威を感じて更なる過激な態度を示してくるのが現実です。
相手に毅然とした態度を示されて、やる気が挫かれるのは相手方の穏健派だけであり、強硬派は更に過激化していくのが現実です。
この強硬派の、現実を知らない楽観主義があらゆる惨劇を生み出すのです。
「こちらが、毅然とした態度を示せば相手はひるむはず」というのは、全くの見当違いで人間心理というものを知らない幼稚な発想なのです。
そういう事を言う強硬派の人たちは自分に照らし合わせて考えれば、すぐにわかるはずです。 「もし相手側が毅然とした態度を示したら、貴方はひるむのですか?」と自問自答してみるべきです。強硬なことを言う人間は、相手が毅然とすると、ひるむどころか、更に虚勢を張るものです。そうやって、双方とも互いにどんどん強硬な意見が主導権を握るようになって、もう正面衝突するしか道はなくなってしまうのです。もう、双方とも引っ込みがつかなくなるからです。
いろんな地域の民族紛争や内戦はすべてこうやって起こってきた訳ですし、イスラムの過激派もこうやって穏健派はどんどん排除されて、最終的に最悪の悪魔のような過激派が主導権を握るようになってしまったのです。
その悪魔のようなイスラム過激派を相手に「毅然とした態度を示せば相手はひるむはず」という幼稚な発想しかもたない安倍首相はわざわざ過激派の本拠地に乗り込んでいって、誰に頼まれてもいないのに「我々はISISの拡大を断固として阻止する!」と出来もしないことを宣言したのです。
実際には出来ないことを、する!というのは嘘つきか、ほら吹きがすることで、誰がどう見ても虚勢を張っているとしか見えませんでした。しかし、あの時点で、安倍首相はイスラム過激派に対して公然と宣戦布告したわけです。
それまでは、イスラム過激派にとっても、日本は中立的な国だったので、テロのターゲットにはなっていませんでした。しかし、あの時点で名指しで挑発されたので、彼らは挑発に乗ることにしたわけです。
毅然とした態度にひるむどころか「生意気にも我々を挑発した奴らがどうなるか一応思いしらせておくべきである」と考えるのが彼らです。あの時点で彼らは「安倍よお前は後悔することになる。」と宣告していました。
今回のバングラデシュのテロは初めから外国人を狙ったものであり、日本人は真っ先に殺されたそうです。彼らにとっては安倍に思い知らせるのに丁度よかったのかもしれません。
もし、安倍首相があの時にあのような形で不要に過激派を挑発していなければ、過激派としてもあまり関係のない日本人を殺す大義名分もないため、ひょっとしたら見逃してくれたかもしれません。
そういう意味では、今回の7人の犠牲者は、安倍首相の幼稚な虚栄心と虚勢の犠牲者になったとさえ言えるのかも知れません。
そして、本題に戻ると、今度の参院選挙で改憲勢力が3分の2以上を占めるようになると、平和憲法という歯止めはなくなり、今後、中国が少しでも強硬な態度を示すようなことがあれば、国内世論は一気に強硬派が勢いを増して「ここでこちらも毅然とした態度を示しておかないと、相手がつけあがると」ということで、強硬手段をとるようになり、それを見て中国側も「ここで更に強硬な手段をとらないと、日本になめられる」ということで、更に強硬な態度をとり、それを見て日本の国内世論も「もっと強硬手段をとらないと相手になめられる」ということで、最後は正面衝突することになり、双方共に多数の犠牲者を出して、結果的に双方とも大きな損害を出し、結局誰も得しない結果になるのです。
このようなあさはかな行為を人類は昔から繰り返してきたのですが、未だに人類は何も学んではおらす、必ず「話し合おうなんて腰抜けの態度で、非現実的な理想論で、相手になめられるだけで、国益を守るためにも、国家の威信にかけても毅然とした態度をとるべきである」という幼稚な楽観主義があたかも正論であるかのように双方の国で支持され、最終的に正面衝突するまで引っ込みがつかなくなるというわけです。
明日の参院選挙は、そうなるかならないかの運命の分かれ道の日になるかもしれません。
よ~く考えて投票しましょう!