17歳の老犬らしく身の回りのお世話は増えていました。立ち上がりも介助が必要でしたし、歩き始めると目が見えないので隙間に入り込んだり、夜中は円形のサークル内を何時間も回っていました。ご飯やトイレにも時間がかかり、粗相も増えてオムツ生活になりました。それでも穏やかに過ごしていました。
鼻詰まりをきっかけに受診した日の夜に亡くなってしまいました。
『誤嚥性肺炎』でした。
急に…
あんこにしてみたら急じゃなかったんだと思いますが「肺炎は咳が出る…」と思い込んでいた私は全く肺炎に気付けず何もしてあげられませんでした。
院内で2度呼吸が止まり心臓マッサージという一刻を争う事態でしたが家に連れ帰り、病院から借りた酸素をセットした約30分後に家族3人で見守る中「ワン、ワン、ワン…」と3回鳴いて逝きました。
亡くなる1週間程前から鼻詰まりが出ていて、乾燥の強い我が家は加湿器を増やして、様子をみていました。というのも一休も同じような鼻詰まりがあり、加湿器で改善した経験があった為、あんこにもその対応をしました。
しかしあんこは違い、肺炎が進行していました。咳はしてなかったですが、「いつも同じほうを下にして寝ていたのも、向きを変えても嫌がっていたのは呼吸が苦しかったからかもしれない」と獣医さんに言われ、気づけなかった後悔は今も消えません。
8月8日。あんこの誕生日が過ぎ、もっと早く病院に連れて行ってたら18歳を迎えられたんじゃないか。今もそんな考えばかりが浮かんできます。
元々あんこは身体能力が高く、緑内障の大病はしましたが元気な子でした。一休の時は余命10日を告げられつつも1年以上看病をさせてくれたので、最期を迎える時間を共に過ごしてきた感覚があるのですが、あんこには申し訳なかった気持ちしかありません。
ペットロス…
沢山のサイトをのぞかせていただいたり、本を読みながら見つけた言葉に
「旅立つときは飼い主の事情や背景などを考えた「条件が整った日」であることが多い。どんなタイミングで旅立つか、望む形を神に伝え、神が叶える」というのがありました。
思えばあんこが亡くなった日は、私もたまたま仕事が休みで、2月に本番を控えていたオペラ稽古が忙しくなる直前でもありました。
あんこは私が「アメイジンググレイス」を歌うと、シッポを振って顔を舐めてくれました。その歌が好きというよりかは私を応援してくれている、そんな事を感じさせてくれる子でした。
だから、もしあんこがそんな私の事情まで察してあの日を選んで逝ったんだとしたら…と思うと飼い主として忙しい事をとても悔やみました。
49日の朝、寝ていた私の足下にあんこが凛とした姿で立っていました。無くした両目もちゃんとあり「いくからね」と伝えてきて、抱きしめた瞬間私は目を覚ましました。
抱きしめた感覚が残りながら、夢なのか何なのかはわかりませんが、あんこからの無償の愛を感じた瞬間でした。
私は物心ついた時から犬と生活していて、犬のいない時間を過ごした事がありません。既にお伝えした通り、私はあんこの受診のタイミングを逃し、忙しい日々を送り優秀な飼い主ではありません。
子どもの頃はパグちゃんも外飼いでしたし、一休やあんこもペットショップで買い、外飼いしていた時もあります。
時代や土地柄、種によってペット達の飼い方は変わってきますが、自分の苦い経験を皆さんに共有させていただき、我が子との短い時間やペット達から飼い主に向けられる愛情についてチャリティー活動を通し伝えさせていただければと考えています。
あんことの時を振り返りながら「あなたへ」という歌を作りました。9月24日に行うチャリティーコンサートで歌わせていただきますので、是非いらしていただければと思います。
我が家には一休とあんこと一緒に過ごしていたポンコがひとりになりました。ひとりになって時折寂しそうな時もありますが、ポンコも気管虚脱を抱えて健康管理が必要になってきました。大切な時間を過ごしていきたいと思います。