一休ありがとう | ポチタマの手

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捨てられた犬や猫達を救うために活動を始めました。

2021.2.2

一休が旅立ちました。15歳でした。

2019.11月に余命10日を宣告されてから1年3ヶ月…。一休が懸命に頑張った時間を残すために書く事にしました。
(以下医療行為、症状の話や写真もあります。苦手な方はご注意願います)



2019.11.19

数日食欲をなくしていたところ、急にパタっと倒れ立てなくなりました。甲状腺機能低下症で投薬治療をしていたので、悪化してしまったのかと病院に連れて行くと、肝臓に大きな腫瘍が認められ、血液データと合わせ「肝臓癌」との診断を受けました。


獣医さんからは、一休の年齢と食事が取れていない状態から外科的手術は難しく、進行を遅らせる薬もあるけど、確定診断を出す為の検査の侵襲を考えるとそれもお勧めできませんと言われ、余命は早くて10日、長くて1ヶ月と告げられました。


一休やあんこが年齢を重ねてから、私の中で決めていた事は、命に関わる病気になったら、自宅で静かに看取ろうという事でした。


でも急な宣告だったので、現実味がなく、しばらく受け入れる事ができませんでした。




排泄も寝たきりになり、鼻の中にもデキモノ?も出来てしまい、呼吸が苦るしくなるため、2時間おきに鼻のお掃除したりと一休の介護が始まりました。


余命は受け入れると言っても、やっぱり1分でも長く一緒にいたい。祈る事しか出来ず、YouTubeで見つけた「癌を死滅させる周波数444Hz」というものも一休の傍で流してたり、身体を撫でて綺麗な肝臓を取り戻すイメージを一休に送ったりしてました。

すると宣告された余命10日が過ぎ、1ヶ月が過ぎ…鼻のデキモノは綺麗に治り、食欲も盛り返し、1日4回もご飯を食べるようになりました。起きたそうに身体を上げたり、鳴くようにもなりました。





私はサイババにでもなれたような気がしました。(実は一休は上手に鳴けない子で、こうなるまで鳴いたりしない子でした。後ろで鳴いてるのはポコちゃんとあんこです。)

2020.6.8
立ち上がる事は出来ませんでしたが、目に力が戻り一休は15歳になる事が出来ました。

容態が落ち着き、しばらく穏やかな日を過ごしていました。




2020.12月
食欲が落ち、朝まで夜鳴きが続き、おしっこが出なくなったので動物病院に往診をお願いしました。
(後から獣医さんに聞いた事ですが、この往診依頼の時、一休がまだ生きていた事に驚いたようです)
導尿でひいてもらったおしっこは、濃い茶色をしていて尿毒症寸前でした。腎機能が低下して、一休はとても具合悪かったんだと思いました。


そこから1〜2日起きに点滴や導尿をしてもらっていましたが、年末年始を挟むため留置カテーテルにしてもらい、点滴は方法を教えてもらって私が行うようになりました。



2021.1.1
11月から入院していた父が元旦に亡くなりました。
葬儀は一休からも目が離せないので自宅でとり行いました。出棺の時、居間に置かれた棺を一休はじっと見つめていました。
一休は父が大好きだったので更に弱ってしまわないか心配でした。


父の初七日を過ぎた頃から、痰が絡むようになり、舌の下が風船のように膨らみ食べ飲みがうまく出来なくなりました。
獣医さんに診てもらうと、中に液体などは何も入っていなく、手で圧迫すると潰れたので安心しましたが、落ちていた食欲に拍車がかかり食べ飲みが全く出来なくなり、点滴は毎日行うようになりました。


ほどなくして、一休の体には褥瘡(床ずれ)ができてしまいました。


寝たきりになってすぐに介護用の除圧マットレスを使っていましたが、こまめな体位変換が難しかったこと、栄養不足により進行が止められず、ここまで広がってしまいました。


この褥瘡は両側の大腿骨の所に出来てしまい、傷口を洗う時や、薬をつける時に痛みからか身体をピクっとさせるので、この処置をする時が1番かわいそうでした。

片側の褥瘡処置をして、もう片方の褥瘡処置をしている時に下痢をして、始めに行った方の褥瘡テープを汚すと、また体位変換してテープを交換しないとならず、それに加えて朝晩は留置カテーテルの管を開け、おしっこを出し、夜は点滴し…そうなると1時間近くかかるので、一休の身体もとてもしんどかったと思います。


1.20
全く食べれていないのに、下痢を繰り返すようになり、この日の下痢にタール便(炭化した炭みたいな便)が混ざり、お別れが近い事を感じました。


2.1
口から大量の水液を吐きました。ずっと痰が絡んでいたので、ようやく痰が切れると思いましたが、
肺が窪んで内臓が盛り上がっているように見え、動物病院に電話すると「今日明日が山場だろう」と…。何度も山場を乗り越えてきた一休だから、この山場も期待したかったですが、どこかで本当の覚悟をしました。

この写真の向きとは反対に向きを変えると、呼吸が楽になり、点滴も100ml入れて夜はぐっすり寝ました。


2.2 
朝5時に下痢をして、またそこにタール便が混ざっていました。褥瘡テープを汚していたので処置をしました。その間一休は声にならない小さな小さな声でワンワン、ワンワンと鳴いていました。

側の処置を終え左側に向きを変えると、昨日窪んでいた肺も元に戻っていました。その時、一休は私の目をしっかりみて、寝たきりになってから動かすことのなかった両手をゆっくり前に動かしました。


処置をしていると、前日のように呼吸が荒くなり、苦しそうにしていたので、処置後にまた向きを変えた数分後に呼吸が止まってしまいました。
何度も呼びかけましたが息を吹き返すことはありませんでした。

ずっと動かせなかった両手を動かした時が「ママ逝くね」っていう一休からの合図だったんじゃないかと思います。






余命宣告されてから1年3ヶ月。
腫瘍の大きさからもここまで頑張れた事は奇跡で、食事が取れなくなってから、点滴だけで20日以上頑張れた事を獣医さんも驚いていました。

一休の介護が始まってから、私は居間で一休と寝起きしていました。昼夜逆転や夜鳴きで、連続した睡眠が取れない時もありました。また12月は父の容態も優れず、一休の治療費も相当かかり、精神的にも金銭的にも堪えましたが、それは全て家族のためだと思っていました。



でも一休がいなくなって、父もいなくなって2つの『介護』がなくなり思うことは、誰のためでもなく、全部自分がしたくてしていたという事に気付かされました。だから今は最期までお世話させてくれてありがとうっていう気持ちでいっぱいです。
今頃、父と一休は元気だった頃のようにお散歩を楽しんでいるのではないかと思います。



最期まで手厚く治療してくださったルル動物病院の日比先生を始めとするスタッフの皆さまには、心から感謝しております。





残されたあんこ(15歳)は盲目の世界を生きています。
一休はいつもあんこを心配する子でしたので、今も傍らにいるのではないかと思います。
一休と過ごした15年の時間は、長いようで短い時間でした。今いる子たちとの限られた時間を大切に過ごしていきたいと改めて思っています。