近江出身武将シリーズ① 藤堂高虎
今回からは近江出身の武将についてシリーズ連載していきたいと思います。
第一回目は、近江出身の武将の中でも特に波瀾万丈を生きた武将、藤堂高虎公についてです。
藤堂高虎といえば、主君を何度も変えたことで有名です。
それが原因で、一部ではあまり人気のない武将でもあります。
しかし主君替えをしたその半数は、「仕方のないこと」でもありました・・・。
高虎は、近江犬上郡藤堂村の土豪の次男として誕生し、
最初は、当時近江で最も強い勢力を誇っていた英雄、浅井長政に使えます。
やがて浅井長政が「姉川の戦い」に破れ浅井家が滅ぶと、
浅井の旧臣で織田家傘下に組み込まれた武将、阿閉貞征に仕えます。
しかしこの阿閉貞征は、たいそう器量のない武将で、信長からも重宝されず、
大志を抱く高虎は自らの槍を振るう機会の少なさを嘆くようになり、
より大きなチャンスを求めて同じ浅井家の旧臣、磯野員昌のもとへ走ります。
近江高島郡を領する磯野員昌は世に聞こえた猛将で、高虎もよく仕えたのですが、
ある時信長の勘気をこうむって、高野山へ追放、磯野員昌の旧領は、
そっくり信長の甥、津田信澄に与えられ、高虎はそのまま信澄に仕えることになります。
しかしこの信澄も、織田一門にありがちな、「気位だけが高い愚将」でした。
自分の腕力を高く買ってくれない、有効に使ってくれない信澄を見限り、
高虎はここで5度目になる主君替えを決意します。
この5度目の主君替えが高虎の運命を大きく変えました。
秀吉の弟、羽柴秀長との出会いです。
秀長は秀吉の右腕と呼ばれ、主に行政面で比類無き力を発揮し秀吉を完璧に補佐し続けた仁将です。
高虎は、信長から秀吉にまたぐ天下統一事業の第一線に従軍し、数々の武功をあげた他、
秀長から、政治と土木の知識・技術を学んでいきました。
しかし、その秀長は急死。
跡継ぎ養子である秀保に仕えます。
・・・が、この秀保、非情に残酷な暴君であったそうで、
因果なのか、「変死」によって若くしてこの世を去りました。
その後、高虎は秀吉に仕え豊臣幕下の大名としての道を歩み始めます。
秀吉の下では水軍を与えられ、朝鮮の役でも水軍を率いて数々の功をあげます。
しかし高虎には、同格の大名に2人、犬猿の仲と呼ばれる大名がいました。
ひとりは、加藤嘉明。
朝鮮退陣中に、同じ水軍同士で功を競うあまりに何度も衝突を繰り返し、
ふたりは江戸時代初期まで相容れない仲となります。
しかしそれは同じ武人としての好敵手的な関係でもあったようです。
もうひとりは、同郷でありながら完全に異質の世界に生きる男でした。
石田三成です。
多くの武断派大名がそうであったように、高虎も三成を激しく憎悪しました。
政権末期、秀吉が次第に老いていく中で、その独裁政治が三成の手にすりかわって
行われていることに高虎は激しく嫌悪を覚え、豊臣の世を見限るようになりました。
そこで現れるのが徳川家康です。
家康は豊臣政権下での押しも押されぬ大大名であり、
古くさい武人の血を色濃く残した、精強を誇る三河武士団の頭領です。
当然、高虎にとっては憧れの存在でもありました。
ここで高虎は最後の主君替えにむけて疾走しはじめました。
この鞍替え劇は、関ヶ原の大乱によって終結し、その後藤堂高虎は外様では珍しく、
枢要の地に大領を与えられ、大阪の役では譜代筆頭の井伊家と並んで先鋒をつとめるまでになったのです。
・・・と、ざっくりと高虎の主君替え劇を語ってみましたが、
これでわかるように、のちの世に「走狗」と蔑まれるような鞍替えは、
まあしいて言えば徳川に走ったことくらいです。
ただ、これは江戸開府後、ありとあらゆる外様大名が没落していった中で、
藤堂家だけがしっかりと繁栄していったことへの「やっかみ」でもあったようです。
藤堂高虎は近江出身の武将としては最も出世をした武将です。
己の能力だけを強く信じ、武力だけでなく、政治力、行政力、土木力を身につけ、
大きく飛躍した尊敬すべき武将です。
そんな高虎の一代記を楽しく読める一冊をご紹介します。
来年からの大河ドラマ、「天地人」の原作者でもある火坂雅志さんの著書、
「虎の城」上・下です。
これは本当に面白い本でしたので、よろしければ読んでみてください!

第一回目は、近江出身の武将の中でも特に波瀾万丈を生きた武将、藤堂高虎公についてです。
藤堂高虎といえば、主君を何度も変えたことで有名です。
それが原因で、一部ではあまり人気のない武将でもあります。
しかし主君替えをしたその半数は、「仕方のないこと」でもありました・・・。
高虎は、近江犬上郡藤堂村の土豪の次男として誕生し、
最初は、当時近江で最も強い勢力を誇っていた英雄、浅井長政に使えます。
やがて浅井長政が「姉川の戦い」に破れ浅井家が滅ぶと、
浅井の旧臣で織田家傘下に組み込まれた武将、阿閉貞征に仕えます。
しかしこの阿閉貞征は、たいそう器量のない武将で、信長からも重宝されず、
大志を抱く高虎は自らの槍を振るう機会の少なさを嘆くようになり、
より大きなチャンスを求めて同じ浅井家の旧臣、磯野員昌のもとへ走ります。
近江高島郡を領する磯野員昌は世に聞こえた猛将で、高虎もよく仕えたのですが、
ある時信長の勘気をこうむって、高野山へ追放、磯野員昌の旧領は、
そっくり信長の甥、津田信澄に与えられ、高虎はそのまま信澄に仕えることになります。
しかしこの信澄も、織田一門にありがちな、「気位だけが高い愚将」でした。
自分の腕力を高く買ってくれない、有効に使ってくれない信澄を見限り、
高虎はここで5度目になる主君替えを決意します。
この5度目の主君替えが高虎の運命を大きく変えました。
秀吉の弟、羽柴秀長との出会いです。
秀長は秀吉の右腕と呼ばれ、主に行政面で比類無き力を発揮し秀吉を完璧に補佐し続けた仁将です。
高虎は、信長から秀吉にまたぐ天下統一事業の第一線に従軍し、数々の武功をあげた他、
秀長から、政治と土木の知識・技術を学んでいきました。
しかし、その秀長は急死。
跡継ぎ養子である秀保に仕えます。
・・・が、この秀保、非情に残酷な暴君であったそうで、
因果なのか、「変死」によって若くしてこの世を去りました。
その後、高虎は秀吉に仕え豊臣幕下の大名としての道を歩み始めます。
秀吉の下では水軍を与えられ、朝鮮の役でも水軍を率いて数々の功をあげます。
しかし高虎には、同格の大名に2人、犬猿の仲と呼ばれる大名がいました。
ひとりは、加藤嘉明。
朝鮮退陣中に、同じ水軍同士で功を競うあまりに何度も衝突を繰り返し、
ふたりは江戸時代初期まで相容れない仲となります。
しかしそれは同じ武人としての好敵手的な関係でもあったようです。
もうひとりは、同郷でありながら完全に異質の世界に生きる男でした。
石田三成です。
多くの武断派大名がそうであったように、高虎も三成を激しく憎悪しました。
政権末期、秀吉が次第に老いていく中で、その独裁政治が三成の手にすりかわって
行われていることに高虎は激しく嫌悪を覚え、豊臣の世を見限るようになりました。
そこで現れるのが徳川家康です。
家康は豊臣政権下での押しも押されぬ大大名であり、
古くさい武人の血を色濃く残した、精強を誇る三河武士団の頭領です。
当然、高虎にとっては憧れの存在でもありました。
ここで高虎は最後の主君替えにむけて疾走しはじめました。
この鞍替え劇は、関ヶ原の大乱によって終結し、その後藤堂高虎は外様では珍しく、
枢要の地に大領を与えられ、大阪の役では譜代筆頭の井伊家と並んで先鋒をつとめるまでになったのです。
・・・と、ざっくりと高虎の主君替え劇を語ってみましたが、
これでわかるように、のちの世に「走狗」と蔑まれるような鞍替えは、
まあしいて言えば徳川に走ったことくらいです。
ただ、これは江戸開府後、ありとあらゆる外様大名が没落していった中で、
藤堂家だけがしっかりと繁栄していったことへの「やっかみ」でもあったようです。
藤堂高虎は近江出身の武将としては最も出世をした武将です。
己の能力だけを強く信じ、武力だけでなく、政治力、行政力、土木力を身につけ、
大きく飛躍した尊敬すべき武将です。
そんな高虎の一代記を楽しく読める一冊をご紹介します。
来年からの大河ドラマ、「天地人」の原作者でもある火坂雅志さんの著書、
「虎の城」上・下です。
これは本当に面白い本でしたので、よろしければ読んでみてください!
