(広島城。じつは去年の8月に広島に行ったのです…)
あっという間の一週間でした・・・
毎日、もう、もう、こんな時間? という勢いでどんどん時間が経ち、
夢中で仕事をするあまり、予約していたリハビリをすっかり忘れる始末💧
では、先週の土曜、勤務日で、ちょっと緊張する日。
そして、今までにない経験をしました。
ここには書けません。
なぜなら仕事がモロ分かりになるから。
30年ほど勤めてまいりましたが、こんなこともあるんだ・・・という体験でした。
疲れました。
日曜、4月9日。
彼のアトリエで、父の歌集の編集をしてくれる方と打ち合わせ。
そこで、新たに作っていただいた第2稿を受け取って、すぐに校正して、
その方にお返しをすることになりました。
もちろん、装丁の話もして。
印刷所は、GW開けると混むそうなので、
できれば4月中で発行したい、と言われ、
ではその方向で、と、
ガンガン進めていくことになり、
わたしもやるしかなく、
まずは、2日で校正して、送りました。
打ち合わせの時、父の別原稿を一応持っていたのですが、
もうこれは使えないね、ということで、
それはよいのですが、
パラっと、写真が出てきて、
思い付きで、この写真を扉に使おう、となりました。
その写真も巡り合わせだと思います。
わたしたちが打ち合わせている時、
彼は席を外し、絵や彫刻の展示場にいたようです。
そして、打ち合わせが終わったあと、
彼の友人である編集者の方がお帰りになり、
わたしはアトリエ美術館で少し絵を見ることに・・・
その後の展開は予想がつきましたけど、
彼はわたしに×××
自分の美術館だから、誰も何も言えませんが、
わたしはいつもこの美術館で、何かされてるな・・・
いえ、いいんですけどね。
彼もこの日は、午後から市議選の何かがあるということで、
わたしを離してくれました。
この日はね・・・
「お前は僕にとってのビーナスだったんだな」って言われましたよ。
だんだんすごいことになってきてるな・・・
彼は今、新聞原稿を書いているので、
ずっとその原稿のことを話しているか、
しゃべるのが止まったかと思うと
抱きしめてきたり、とか、
相変わらず、せわしなかったですよ。
4月10日、月曜日。
ケースワーカーさんと相談。
(ケースワーカー、施設の担当者、兄、叔父、わたしの5人で。)
結論から言うと、母の治療の方向が変わったので、
転院することになりました。
今までの大学病院から県立病院に行く方向です。
その県立病院へは、ケースワーカーさんが連絡してくれて、
転院の前に、家族受診をして、OKが出たら、
本人の転院だそうです。
早ければ、この週で家族受診の連絡が来るかもしれないということでしたが、
まだ何も来ません。
よって、今まで入っていた老人ホームは退所することになり、
まだ一か月、しかも大学病院に入院していた期間も長く、
一か月の半分くらいしかいなかったかも・・・
でも、対応は良くて、様々なことは気持ちよくできました。
これからは、退院と入院の手続きをしなくちゃならないけれど、
それがいつになるのか、分からない、待ちの状態です。
しかし、県立病院は、実家から近いので、
大学病院に行くよりもずっとラク。
ただし、面会がまだできない。
コロナが5類になると変わるのでしょうけれど。
そして、わたしはちょっとだけ実家によって兄と話をして、
そこから、実家近くの図書館に行って、
父の歌集のために、調べものをして、コピーを取って、
彼と連絡を取り、
ちょっとだけ彼と会うことにしました。
ちょっとだけでも会いたいというので。
わたしと会うとやっぱり原稿のことをずっと言うのですが、
わたしと会って話をすると、
原稿が進むのだそうです。
読んでくれる人がいると、書こうという気力が湧くそうです。
彼とは、道の駅で待ち合わせして、
その道の駅の裏手は、結構な山で、
ちょっとした展望台があり、そこで景色を眺めながらも、
車のなかでちょこちょこっと・・・(ははっ・・・💧)
彼に病気が発覚してから、わたしも彼の身体はとても心配なので、
あまり間を置かず顔が見られるのは安心しますけどね。
「次はもっとゆっくりだよ」と
なごり惜しそうにわたしを離してくれて、
駐車場まで送ってくれました。
がんばって、4月中には書き上げるそうです。
「楽しみにしてて」とわたしに何回も言う顔は、
まだまだ生気に満ちていて、
しばらくは、大丈夫そうという感触を持ちました。
そして、次の日は・・・といきたいところですが、
取り合えず、一旦終わります。
いつも以上にとっちらかっていて、申し訳ございません。
ほんと、いろいろあり過ぎの一週間でした。
