(万博公園内国立民族学博物館の展示。多分シベリア地方のもの)
1月4日に彼と会えました。
彼はこの日の午前、病院に経過状況の確認と薬をもらいに行って、
午後からわたしと会ってくれました。
実は、彼と母とは同じ病院。
彼が通院した次の日に母が入院という時系列で、
つまり、県内で高度医療ができるのは、限られているということです。
「しかし…病院でお前と会ったりしてね。」と
さすがに彼も「それは望まないよね」という表情を作っていました。
彼は12月よりかえって元気そうで、
12月末に会ったときは、少し痩せてしまっていて、
これ以上痩せないといいけど、と心配していましたが、
今回は、その時よりも体重が増えたそうです。良かった。
経過としては、薬がよく効いていて、
投薬一週間なのに、すでに画像で診て分かるくらい良い方向に向かっているそうです。
医者も驚くぐらい状態が上向き。
彼も喜んでいました。
また、彼は既往症があって、
その症状を緩和するために一週間に一度注射を打っているのですが、
服薬と注射と同時でも大丈夫そう、ということです。
その薬とその注射と同時の治療はあまり例がないらしく、
治療を始める時、同時使用はできないという論文は見つからないから恐らくやっても大丈夫なんじゃないかという状況でしたが、
逆に、多分その注射の成分も、彼の病気に奏効しているようだ、ということらしいです。
まずは薬が効いていて、即効性もあって、本当にほっとしました。
このまま奏効が続けば、外科的な治療も視野に入ってくるかも、ですが、
取りあえず半年薬を飲み続けるようでした。
ただ、ただ・・・
どこかで必ず効かなくなる時が来るので、
耐性があまり早くできないといいな、と願うだけです。
「お前の祈りのおかげだ」とか彼は言うけど、
そう言ってもらえるのはありがたいけど、
みんな心のうちに不安は抱えながらのこれからなんでしょうね。
言わなきゃよかったな、と思ったのは、
わたしはつい、「でも耐性は来るよね」と口に出してしまい、
その時、聞いたのか聞かないのか、偶然か意図的か、
彼にくちびるをふさがれてしまい、
「それは聞きたくなかったんだな」と反省しました。
彼はわたしの質問になんでも率直に答えてくれるので
わたしも遠慮せずに聞きたいことを言ってしまうのですが、
マイナス面については、もう少し配慮しなくちゃならないな、と
気をつけることにします。
この日も彼はとても元気で、
「お前…若返ってるんじゃないか」とわたしの肌つやを褒めてくれたり、
それはそれは色々と…といういつもの状態でした。
「副作用で、欲求減退とか、edとかはないの?」と冗談を言うと
「そんな副作用あるわけないでしょ」と大笑いしておりました。
(多分、一般的にはなくはないような気はする。)
わたしと会いたいと言ってくるうちは、まだ大丈夫かな、と
今のところはわたしの不安もちょっと解消。
彼は内科医のお子さんからお正月にメールをもらったそうで、
涙が出そうになったと言っておりました。
曰く、
「医師なのに、お父さんが消えていなくなってしまうことをどうしても受け入れることができない。
お父さんには、やりたいことをやり尽くした人生を送ってほしい。
自分は絶対に諦めない。」
という内容だそうです。
(もう少しあるようですが、文章にできないので。)
これまで彼が愛情を注いで育てたお子さんですから、
どうやってでも自分の持てるものすべてで治していくんだ、
という固い意志が伝わる話ではあるのですが、
わたしはどうしても気になってしまうところがあって、
それは「医師なのに受け入れることができない」というところ。
これは逆に言えば
医師であれば、当然受け入れなければならない、ということなのでは?
彼は、もちろんそんなつもりでわたしに語ったわけではないでしょうが、
わたしはなんだか、その部分が引っかかってしまって、
やはり楽観視できる状態ではないんだ、ということを
もう一回思い知らされた気がしました。
わたしに できることは なに か な・・・
腹をくくらなくちゃ
(実は、今日も会う予定でしたが、おなかの具合が悪くて(下って)キャンセルの連絡がきました。
副作用で便秘気味だったので、下剤をもらったそうなんですが、効きすぎたんじゃないかな…
最近一週間に一度の頻度で会っていたので、少し間が空いてもわたしは大丈夫なんだけど、彼は、どうかな?)
