学生時代、下宿に住んでいました。
正確には、間借り。
一軒家に、未亡人のおばさんが住んでいて、いくつかの空き部屋に、医学部の女子学生を住まわせてくれていました。

家から大学に通うには少し遠く、大学入学と同時に家を出ました。
ただ、アパートやマンションは安全面でも心配で、母は女子学生を長年住まわせているその間借りを探し、契約してくれました。

その当時で70過ぎていたおばさんでしたが、私たちの忙しい生活を口出すこともなく、支えてくれました。

間借りですから、食事は出ません。
お風呂とトイレだけが共同で、食事は六畳から八畳くらいの自分の部屋についているキッチンでつくりました。

勉強や試験、臨床実習などで忙しいときには、帰ってくると、おばさん手作りののり巻きやコロッケなんかが部屋の前に置いてあって、感謝したものです。

進級試験のあとは、当時そこに住んでいた四人の女医の卵たちで、おばさんをかこんで一緒にご飯つくって食べたこともありました。
おばさんの優しさには本当にありがたかったなあ。

父が倒れたときも、母から連絡をうけたおばさんは、わたしが進級試験に集中できるよう、試験が終わるまでだまってくれていました。

卒業後も、毎年年賀状に元気な様子がうかがえて、わたしも安心していました。



去年の夏、久しぶりに大学の同窓会があり、友人と一緒に、おばさんに会いにいきました。長男が生まれた頃遊びに行った以来で、もう15年くらい会っていませんでした。
お元気でいるかも少し心配で、、
でも、久しぶりに開けたそのドアから、懐かしいおばさんが笑顔で出てきました。
足腰もしっかりして、本当にお元気でした。

わたしも時間がなく、ほんの少しだけ話をして、おばさんが91歳になったと聞き、驚いたなあ。だって全然かわってなかったんですもの。
一緒に写真をとり、おみやげにさくらんぼまでもらい、帰ってきました。
母もおばさんの元気な様子を聞き、すぐに電話をかけ、おばさんの元気な声をきいたそうです。

今年も年明けにおばさんから年賀状がきたなー、、と思い文面を見ると、おばさんの息子さんからの寒中見舞いでした。
年末におばさんが亡くなったと、、。

夏の同窓会の時も、本当はおばさんに会いに行く予定はありませんでした。偶然、友人と久しぶりに大学を見に行くついでに寄ってみたのです。

久しぶりに会ったおばさんは元気そのものだったので、訃報には驚きました。
でも、何かの縁だったのかもしれません。その時、時間はなかったのに、おばさんに会わなきゃって思ったんです。

大変だった医学生時代を陰から支えてくれた下宿のおばさん。
お世話になったこと、忘れないでいたいと思います。
会いたいと思ったときに、大事な人には会いに行かなきゃいけないことも、実感しました。