兄が自殺したのは2018年。
その時お兄ちゃんは24歳。

私は22歳だった。


練炭自殺、遺書らしい遺書はなかった。


初めの1年は毎日泣いていました。

今、3年半経って毎日涙を流すことは無くなった。

だけども今でもふと兄ちゃんを思い出して涙が溢れてくることがある。


私は、時が経っても完全に癒えることはない悲しみがあることを初めて知った。

この悲しみは、時間が経っても意識せずとも人生を過ごしていたらふと顔を出す。

ずっと子供時代を共にしていた、1番傍にいた存在を失う辛さはとても大きいものだった。

今後、自分の血の繋がった兄弟姉妹は二度と現れないと思うと、孤独に押し潰されそうたった。


自分の人生で長い時間を共にしてきたので、過去を思い出すと兄ちゃんが登場するのは当たり前で、不意に昔話をしているときに、別のことを話していたのに、兄ちゃんを思い出して「あー、もういないんだなあ」と思い知らされることがあります。


兄妹で飲み、兄の結婚式、兄妹喧嘩。今後当たり前にあるだろうと考えてたイベントが、私の人生ではもう叶わぬ夢となってしまいました。

正直周りが羨ましくて堪らなかった。

甥っ子や姪っ子の誕生を自慢してくる友達も、本当は喜びたいことなのに、報告してくれて嬉しいのに、心の中ではすごく羨ましくて、自分にはもう経験できないことなのかと落ち込まざるを得なかった。

そんな考え方をする自分も嫌だった。


今後一生関わりをもっていくはずの存在だったのに、その存在を支えられなかったという重い鎖はずっと付いているものだと思っています。



でも、2018年当時はその日1日を生きることがやっとだったし、過去の話をすると泣きそうになり、言葉にもできなかった。 

その点では悲しみを受け入れることができているんだと思う。

今、その当時のことを振り返ることがやっとできるようになったので、その時の思いや状況を綴りたい。


同じ状況で悲しみを背負っている方々は、悲しみを共有できる人がなかなかいなくて辛い思いをしていると思います。


そんな経験をしている人は、周りの人を深く愛し、そして、自分のことも深く愛していけるとも信じて、日々葛藤はありますが今日も生きています。