市川海老蔵って、信仰心があるんだろうかね。
あの取り乱しようを見ると、信仰心はないか、薄い可能性が高いかもね。
同じ身内を失うんでも、ほんとに人それぞれなんだなって実感したここ数日だった。
何度も言ってるように、俺の信仰心は、学校教育よりも先だったからね。学校の授業を教わるよりも早く、神様を信じてたから。
だから、俺にとって最も大事なものは信仰心であって、学校で教わったことなんていうのは、海の藻屑と成り果てるとも、かまわんのよ。
俺の親は両方とも6年前に、まず1月に父親が、8月に母親が亡くなった。
父親の死と同時に、実家のリフォームに入って、7月頃に、新しい冷蔵庫やら家具やらインテリアやらをドーッと入れて、俺だけ一足先に住んでたんだけどね。テーブルなんかもお母さんと一緒に選んで、後から2人で使うつもりだったんだけど。
そんで、どういう経緯だったか覚えてないけど、母親の入ってるホスピスに見舞いに行ったら、あっけなく死んじゃった。
俺の顔が見れて気が緩んじゃったのかも知れないけどね。
3分ぐらいジーッと俺の顔を見ながら「寿彦に・会えて・よかった」って言ったから。それが最期の言葉になっちゃったんだけど。
で、俺も緊張感が足りなかったんだけど、俺がコテッと寝てる間に、容態が急変して、そのまんまになっちゃった。
ニュースなんかでは、海老蔵が号泣してんのを見て「麻央さんの存在感の大きさをあらためて実感した」なんて書いてたけどさ。
まるで、遺された人が号泣すれば存在感が大きいけど、号泣しなければ存在感が小さいみたいな書き方だけど。
はっきり言って、両親が死んだ時も、俺は涙ひとつこぼさなかったよ。
ケロッとして。
まあその頃はまだ父親に対しては恨みが残ってたけど、愛するお母さんが死んだ時も、俺は一滴の涙も流さなかったからね。
でも、だからっつって、母親の存在感が小さかったってことはない。
俺のお袋は、後妻だったんだよ。後妻。つまり再婚の母。
ほんとの、というか、俺を産んだ母親は、俺が5歳だった時におやじと離婚して、出て行っちゃってさ。
俺はひとり預けられたんだけど、1年後に、お父さんが再婚してくれてね。俺の小学校の入学式になんとか間に合った。
「この人が新しいお母さんだぞ」って言われて引き合わされた時のことは今でもはっきりと覚えてるけど、なーんにも違和感なかったね。すぐに打ち解けちゃって。普通に、幸福な瞬間だった。
ほんとになんにも疑問を感じなくて。新しいお母さんが来るや否や、俺の頭も受け入れモードになってね。
不思議なことに、前のお母さんの記憶はきれいさっぱりなくなって、後のお母さんの記憶しかなくなった。一種の記憶喪失が起きたような感じだった。俺を産んでくれたのも、このお母さんなんだって思ってたから。完全に、一点の曇りもなくほんとのお母さんだって思ってた。
小学校3年の時だったかな、遊びから帰ったらお母さんが俺を呼んで、部屋の真ん中で向かい合って正座させられて、「寿彦よく聞きなさい。お母さんは、寿彦のほんとのお母さんじゃないんだよ」って打ち明けられたけどね。
だけど俺にはなんのことだかさっぱりわかんなかったから、これっぽっちも堪えなかった。お父さんは、外出から帰ってきて「なんでそういうことを言うんだ!」って怒ってたけど。お母さんは「だっていつかはほんとのこと喋らなきゃいけないわけでしょう!」って言って、けんかしてたけどね。
うちに来て、すぐに俺の小学校の入学式にも来てくれたしね。ほかのお母さん方がみんな、ほんとにひとり残らずみんな着物で集合写真に収まってる中で、たったひとりブルーのスーツでも、堂々とど真ん中に写ってくれてさ。式の後に「お母さん着物じゃなくてゴメンね。この次はちゃんとするからね」って謝ってくれたけど、そんなことどうでもよかったよ。俺が40ぐらいになった時、お母さんはそんなことを申し訳なく思ってたのかって思って、単身先から感謝の手紙を書いたけどね。
お母さんは、ほんとのお母さんと同じだったよ。1度として、疑ったことはなかった。
そんな、愛してやまないお母さんが死んだ時でさえ、俺はいつもとなんにも変わんなかったから。
有名人の身内なんかが亡くなると、リポーターは決まって「気丈に振る舞っていました」なんて言ってるけど、俺なんか、気丈に振る舞うもなにも、いつだって、いつも通りだからね。永遠の生命を信じてるから。
お母さんが元気だった時もいつも通り、ガンとわかった時もいつも通り、手術をした時もいつも通り、入院した時もいつも通り、余命宣告された時もいつも通り、記憶が曖昧になってもいつも通り、杖をつくようになってもいつも通り、緩和ケアに入ってもいつも通り、ホスピスに入ってもいつも通り、容態が急変してもいつも通り、危篤になってもいつも通り、息を引き取ってもいつも通り、棺桶に入れられてもいつも通り、骨だけになってもいつも通り、一夜明けてもいつも通り、6年経ってもいつも通り、ずーっといつも通りだから。
信仰心を極めると、ここまで強くなれるっていうことですよ。
だから、俺は「信仰心を持て」って言ってるんだよ。なんで俺がそんなことを言ってたのか、ようやく今になってわかったか。
思いっきり泣くことも、想いを振り切るためのルーティンかも知れないし、別にいいんだけどね。
信仰心さえしっかりしてれば、こんなボロボロにならなくて済むのになって思うことがよくあるんでさ。
家族が死んだからって、後を追うようなのは、信仰心を軽んじた人間の最も哀れな末路だと思うよ。