世の中には、「謝らない人」っていうのがいるんだねぇ。
「謝らない人」、「謝れない人」。
素直じゃない人だね。
なんか、かなりいるみたいだよね。
たとえば、誰かにきつい言葉を放った。
その言葉で、その人が集いに来れなくなった。
自分としては、正しいことを言ったつもりだし、その人を迫害するつもりもない。だけど、ちょっと言い過ぎたかなという気はする。
「確かに、言葉がちょっときつかったかも知れない。もっと柔らかい言い方があった」。
もし、そう思うんだったら、こういう場合、素直にパッと謝ってしまえば、もうそこで解決するんですよ。
「私のほうも言い過ぎて悪かったね」って、パッと謝ってしまえば、丸く収まるんですよ。
たったこれだけです。
たったこれだけで、自分もモヤモヤしないで済むし、人間関係も壊れずに済む。
だけど、たったこれだけのことが出来ない人間の、なんと多いことであろうか。
「ごめんなさい」が言えれば10秒で仲直りできる話が、たったそれだけのことが出来ないがために、何ヶ月も、時には何年も尾を引く。
あるいは、本人が気まずくて出て来づらいからといって、全然関係ない、知らない人が横から割り込んできて、本人の代わりに代弁したりする。「本人に成り代わって謝る。どうかこの通り」と。
これもおかしい。
違う人に謝られても、そんなものなんの癒やしにもならないでしょ。因果関係がないんだから。
第三者がしゃしゃり出てくるんじゃなくて、きちんと、渦中の大元である本人に「ちゃんとあなた自身の口から謝っておきなさい」と、しかと伝えればそれで済む話ですよ。
なんだかんだといって、謝らないでいたり、うやむやにしたり、隠れて出てこないっていうのが、一番卑怯ではないかね。
俺は、謝るべきところがあるなら、間髪を入れずにパッと謝ってしまうのが一番だと心得てるけどね。
俺だったら、電車の中でも、本屋でもどこでも、人にぶつかったとしたら、直ぐさま「あ!すいませんッ!」って言うよ。
たとえ相手が高校生であったとしてもね。
もう「すいませんッ!」って言うのが、条件反射的に出るようになってる。
どっちが悪いとか悪くないとかじゃなくて、どっちが先に当たったとか当たんないとかじゃなくて、「どっちが年配で、どっちが若輩か」でもなくて、「自分から先に謝る」のよ。
「自分から、先に謝っちゃう」の。
とにかく。
これが一番なのよ。
ほんとよ。
とにかく、「なんでもいいからとにかく謝ってしまうこと」。
「自分は謝る理由がない」って思っても、「目の前の状況に対して」、謝ってしまうのよ。
もしね、これが一番じゃなかったら、俺も謝ってませんよ。
「謝らないほうが得策」だったら、俺も謝っていません。
でも、「謝っちゃったほうがいい」んですよ。
断然。
ほーんとに。
なんで、謝っちゃったほうがいいのかって言うと、それにはいろいろあるけど、ひとつにはね、「謝っちゃったほうが自分の立場が強くなる」からですよ。
いろんな意味で。
謝ってしまえば、終わりなんですよ。だけど、謝らない人は、終わらないね。
謝ってしまえば、もうそこでその問題を忘れられるんですよ。謝らないでいるうちは、「自分は謝ってない」っていう罪悪感に、延々とさいなまれ続けなきゃならないんです。
そして、謝らない人は、相手も謝らないとなったら、自分も謝らない、相手も謝らないで、そっからドーンと冷戦に入っちゃうでしょ。
「こいつ謝りやがらねえ。クッソこっちも謝んねえぞ!」って。「死んでも謝ってたまるか!」、「テメーから謝れ!」って。
だけど、こっちが謝ってしまえば、相手が怒っていても、それは相手の問題になるんですよ。
こっちが謝ってんのに、相手の腹の虫が収まらないのは、相手の問題だもんね。
だから、相手は謝るだろうかなんて伺わなくていいから、先手を打って自分から謝ってしまう。
「謝る」っていうのは、自分の責任を離れるっていうことですよ。
謝ってしまえば、相手がそれ以上に突っかかって来ても、「今、謝っただろう?」って、強く出られるでしょう?「こっちはこうして謝ってんのにお前はまだ因縁つけて来やがんのか」って。
もし、そこで謝らなかったら、どうなりますか?
「自分は謝ってない」っていう「負い目」が重くのしかかってくるでしょう?
しかも、相手は謝ったのに、自分は謝るタイミングを逸した時の、自分自身の惨めさっていったらないじゃない。「自分は謝れないヤツなんだ」って、自己嫌悪になるでしょ。
「謝る」っていうのは、言うなれば「オラいち抜けた」ってことでもあるんですよ。謝るっていうのは、ゴタゴタの渦からいち早く抜けて、自分をラクにすることなんです。
「謝らない」っていうのは、とことん、自分を不利に、苦しくして追い詰めてしまうものなんですよ。だから「損」なんです。
「謝る」ことが、最強の処世術だということがわかりましたか。