はっきり言ってさ、「神はいるかいないか」、「死後の世界はあるかないか」っていう問題に対してさ、「ないほう」を取るやつ、信じるやつって、ちょっとひねくれてるだろ。
だって、神や死後の世界があるかないかっていうのは、どっちを信じてもいい訳だ。そうだよね。
だったら、幸福なほうを信じたほうがいいじゃない。俺なんかはそうだよ。俺は、幸福になりたいから、「あるほう」を信じてる訳。
なにも好きこのんで、不幸なほうを信じる道理はないでしょうよ。
じゃあ「どっちが幸福か」って言ったら、絶対的に「あるほう」を信じることですよ。
神がいたら不幸な人は、どういう人かというと、悪人だけでしょう。
罰せられるからね。
死後の世界があったら不幸な人も、悪人だけでしょう。
地獄に落とされるからね。
だけど、善人にとっては、神がいるっていうことは、「よく頑張ったね」ってほめてもらえるっていうことだし、死後の世界があるっていうことは、天国に招いてもらえるっていうことですよ。
こんないい話をね、断る、聞かない、シャットアウトするなんて、どう考えても、どう考えても、ひねくれてるとしか思えない訳だわな。
自分がしっかりと生きてるって思うなら、素直に信じて、素直に願えばいいじゃないの。
いいですか、信じることも、信じないことも、現時点では、どっちも非科学的なことなんですよ。まだ科学だって、あるともないとも、どちらにも軍配をあげてないんだからね。どっちを取るにしても、非科学的なんです。
「信じない」ほうが科学的だなんて、思い上がりってもんですよ。
科学的云々を言うんだったら、世界的科学者が証明でもしてから言ってくださいな。
なんで、よりによって「ないほう=不幸になるほう」を取っちゃうのかね。神様も、死後の世界もないんだったら、80年もの人生なんにも報われないことになるじゃない。
70年か80年ぐらい生きてさ、バサッ!と幕が降りてみんな消えるっていうんなら、こんな不幸な人生観はありませんよ。
死後の世界があったらさ、自分のご先祖様にも逢えるし、子孫にも会えるんだよ。親にも会えるし、子どもにも会えるし、きょうだいにも会えるし、恋人にも会える。この世で、愛する人と死別するのは悲しいかも知れないけど、あとでちゃんと再会できるようになってる。
こんな幸福な話はないじゃないの。
「ああ、そうですか!死後の世界はあるんですか!よかったです!ホッとしました!」。
これでいいじゃない。
なんで否定すんのよ。
わざわざ。
何を難しく考えてんの。
「すべては肯定から入る」、これは弘法大師空海の教えだと大昔に聞いたことがあるけどさ。
「否定から入る」なんてね。
こんな幸福な話を信じないなんて、もう、性格が暗いんじゃないかとしか思えんわ。