長々と書く気はないけどね。
今日は3.11だけど。
ちょっと疑問に感じたことがあるんで。
有名人やら何やらが、「できること」って言うんだけど、こんなの甘いよね。
甘くない?
被災地の人はもっともっと大変だと思うよ。
具体的にどう大変なのかはわかんないけど、とにかく大変だろうっていうことは容易に想像できる。
「できること」なんてさ、被災地の人にとっては、気休めにもならないことがあるっていうことを忘れちゃいけない。
「自分がやってあげた」っていう満足なんか、はっきり言って迷惑でしかないかも知れないよ。
できることなんて言うけど、じゃあ、「できること」って何よ。
「被災地の人に届けー!」なんて言って、感傷的な歌歌ったって、なんの得にもならないと思うけどね俺は。
つうか、有名人ならよ、そういうイベントやったっていいかも知れないけど、金を送れよカネを。
そういうことだと思うよ。
被災地の人に本音を聞けば、そうなんだよ。
きっとそうだと思う。
それ以外のものは、全部「余技」「余興」であってね。
被災地の人は、本心は、「なに俺たちで遊んでやがる」って思ってるかも知れないし。
こういう日っていうのは、「在庫一掃処分セール」の日じゃないよな。
例えばね、自分が財布をなくした、親を亡くした、子供を亡くした、家が壊れたっていうときに、耳元で“ウィーアーザワールド♪”なんて言ってほしいか?「負けないこと投げ出さないこと逃げ出さないこと信じ抜くこと♪」なんて言ってほしいか?
それもいいかも知れないけど、それは、お金を渡した上での、プラスアルファ、おまけじゃないだろうか。
我々一般人も、必要なのは「想い」じゃなくて「お金」なんだっていうことをもっと肝に命じるべきだと思うな。夢じゃ食えないよ。
お金は、1円からでいいんだ。
10円ならなおいいし、もっと多いならさらにいい。
大事なのは、今日、10万円出すことじゃなくて、今日も100円出す、明日も100円出す、来週も100円出すっていうことが、大事だろう。
身も蓋もないこと言い過ぎかも知れないけど。
それから「できること」っていうのは、いつもと違うことをすることでも、非日常空間をつくりだすことでもなくて、誕生日を祝うとか、入学を祝うとか、結婚記念日を祝うとか、長寿を祝うとか、そういう普段と変わらないことをできることだよね。