俺は、悪いことでなければなにやったっていいと思ってんだ。
悪いことはしない、悪くないことなら自由にする。
例えば、電車内なんかで、目の前にお年寄りや体の不自由な人がいるのに席を譲らない、これは俺は「悪」だと思うんだよね。
「善でも悪でもない」ってことはないと思うよ。完全に「悪」。だって、思いやりゼロだもん。「体の不自由な人を見捨ててる」んでしょ。自分がその人よりも体が悪いなら別だけどさ。「悪」という認識がないから、永久に席を譲らない。ね。
「困ってる人を放ったらかしにする」っていうのは、俺に言わせれば「悪」なの。「困ってる人が放っておかれてる」電車内の状況っていうのは、つくづく異常だと思うよ。お前の年老いたおっかさんがね、足腰が弱ってんのに誰にも見向きもされない、気遣ってもらえない、そんなことが許せるか?ええ、答えてみろや。てめえの奥さん、身重の奥さんだったらどうか。な、「自分の家族だったらどうだろうか」って考えられない、ね。あー、カッコ悪い。
学校や職場でも、いじめを見てみぬふりするやつも悪だし、助けないやつも悪。
そうそう、一昨日だったかな、「好きか嫌いか言うTV」かなんかで、高校生たちといじめの問題をやってたんだけど、それ視て、俺は改めて学校や校長や教師、生徒に対して憤ったな。
弱いやつが多すぎだって思って。
校長や教師は体面に弱すぎだし、生徒は生徒で心が弱い。
暴力に屈する、暴力をのさばらすなんて、恥の生き方だと思うわ。
まだその境地に達してないって言えばそれまでかも知れないけどさ。
それを視て俺は、あまりにも焦れったくて、「代わりにいじめっ子に天誅を加える仕事か役割かなんかないのかなー、なんなら俺がやってやろうか」って思っちゃったもんね。
「体罰体罰」なんてナイーブになったあたりからおかしくなったんだろうなって思うね。
俺の考えだけどさ、もっと、ガーガーやりあってもいいと思うよ。ぜーんぜんやり合わないでしょ。澄ましすぎなんだよ、社会全体が。「ツン」と澄ましてんだよ。なんかね、お高くとまってんの。冷めすぎなんだよ。ほんとに鮮度が悪いでしょ、今の社会って。時間が経てば経つほど事実関係があやふやになって、ほんとにあったかどうかもわからなくなってくるのにさ。生きてんだか死んでんだかわかんないもんね。心臓が脈打ってる新鮮な人間なんだったら「おーいええ加減にせえよー!!」って怒らなきゃダーメよ。
電車内で席を譲らないのもそうでしょ。
要するにカッコつけてんだよ。な、そうだろ。あのさ、「席を譲る」なんていうのはさ、「場馴れ」の問題なのよ。場数を踏めば、自然にパッとできるようになるの。それが、席を譲るのが大問題な人、一大決心を要する人は、とにかくやってみればいいの。やってれば、「ああ、こういうことね」って、手応えがつかめてくる。席を譲るなんて、「こんにちは」とか「こんばんは」とか「ごきげんよう」とか会釈と同じ「挨拶」よ。
まあ俺は、レディースの服だろうがなんだろうが着るけどさあ、あんまカッコばっかつけたってしょうがないと思うよ。服については改めて書こうと思うけど。今回こんなに長くなっちゃったから。
「事を荒立てない」とかさ、「できるだけ穏便に」なんて、「お前はモグラかなんかか」って感じだよな。穴にもぐるような生き方してさ。そんな生き方選んじゃうほうが俺に言わせればカッチョ悪いことこの上ないことよ。
しかし、目の前でいじめのメールやツイートを消去させて、証拠隠滅をはかる校長や、てめえの出世、天下りのことしか考えないバカ校長には殺気を覚えたもんね。万死に値すると思うよ。