僕がなぜ天国や地獄や、神や霊を信じているかというと、根拠があるからです。
その根拠はなにかというと、仏教のお経です。
釈迦は悪魔(波旬・パピヤスマーラ)の誘惑を退けて悟りを開いたと伝わっていますし、釈迦の降魔成道ののちに、梵天(仏教の神)が釈迦に「どうか悟ったことを人々に説いてください」と勧請(請い願う)したとされます。盂蘭盆経には目連尊者が餓鬼道に堕ちた母親を神通力で助けに行く話があります。



このことから、魔の存在や、霊の存在を認めざるを得ないのです。
「そう書いてあるから、素直にそうなんだと認めるしかない」のです。
逆に、これを信じないというのは、「逆に変な妄想に取りつかれてるのではありませんか」ということです。
書いてあるのに「ちがう」というのは「おかしい」のです。
「比喩だ」、「方便だ」、「喩え話だ」という人もいるんですが、「根拠はなんなんですか」と言うんです。
今さら釈迦に会いに行って、「あの話は嘘だったのですよね」なんて誰も確かめられようもないんですから、そのまま素直に取るしかないのです。
だから、「信じない」というのは、ひねくれ者なんです。
それしかありません。
だって、「書いてある」んですから。
書いてあるものを、誰が「ちがう」などと言えるんですか。
「ちがう」というのは、どれだけ信じられるんですか。
信じる根拠はまだあります。
釈迦は、「妄語」を戒めたのです。
妄語というのは、「嘘」のことです。
「嘘をつくなかれ」と教えた先生が、自ら嘘をつくはずがないんです。
「嘘をつくな」と言った先生が大嘘をつくということはどういうことでしょうか。それが仏教ということはどういうことでしょうか。あり得ないことです。
だから、全部ほんとなんです。
だから、信じられるんです。
あとから、バカが「いや、あれは方便なんだ」と言ったって、それこそなんにも根拠がないんですから、そんなものは信じられないんです。
信じる根拠はまだあります。
「死後の世界なんかない」と言うんだったら、どうして「成仏」という言葉があるんですか。成仏とはいったいなんですか。どこに成仏するんですか。「あの世」ではないんですか。
信じてるというのは、何となく信じてる訳でも、妄想癖があるからでもありません。
根拠があるから信じているんです。
逆に、「そんなものはない」「迷信だ」というなら、その根拠を示さなければだめでしょう。示してください。それがなければそちらが妄想です。いつ示しますか。