
なーんかさー、俺の目には世の中がバーカに見えて来てほーんとしょーがないわ。
「高齢者に席を譲るか否か」で、こんなにだらだらと論じる時代になってんのか。
もうさー、「考えすぎ」なんだよ。
生きてて疲れるだろお前。
気ぃ使って気ぃ使って、顔色うかがって顔色うかがって、空気読んで空気読んで。
ストレスたまんないか。
俺なんかなんにも考えないぞ。
なんにも考えないで、高齢者に席を譲るんだよバーカ。
「断られたらどうしよう」?
はーあ、なーに言ってんのかねー。
お前はウサギちゃんか。
どんだけネクラなんだよ。
暗ッライなー。
暗いよ、お前は。
暗さが板につきすぎてんぞ。
暗すぎる!
ちっぽけなことをぐだぐだぐだぐだ悩みすぎなんだよ。
悩んでるねー。
どーでもいいことで悩んでるねー。
ぐーだぐーだぐーだぐーだ。
そんなことで悩んでる暇あんのかよ。
ずいぶん長い人生だな。
俺なんか忙しいから、パッと譲ってパッと終わるぞ。
こんなことに時間なんかかけてらんねーつんだよ。
こんなにさ、たかが高齢者に席を譲るか否かで、まるでジョンレノンか哲学者みたいに考え込んでんじゃ、お先真っ暗だろ。

ダイヤモンド・オンラインがこんだけぐだぐだたくだらんことで論文を書いちゃうってことは、かなりの人間がこの問題を針小棒大に捉えて悩んじゃってるってことだよな。
もうさ、弱いの。弱いだけよ。
心が弱いんだよ。
弱すぎる。
なんでそんなに弱いねん。
もう、なーんだろ、蚤の心臓じゃない。
けし粒みたいな心じゃん。
俺がフッと吹いたら飛んじまうんじゃないか?
へなちょこやんけ。
「座りますか?」
「ああ、ありがとう」
「座りますか?」
「いや、結構です」
これで終わりやろこんなもん!
これがすべてや!
ここに、なにをそんなに考えることがあるっちゅうねん!
こんなに簡単なことを、あーでもないこーでもないと、わ・ざ・わ・ざ難しくしてる。だから「暗い」って言うんや。
素直に1+1=2でいいのに、わざわざ1+2+3ー2ー1ー1=2なんてやってるようなもんだろう。
俺は先週おばはんに席を譲ろうとしたら半笑いで断られたで。その前はおじいさんに「次で降りるからいいよ」って断られた。
こんなことでいちいちめげてたら夜も眠れないっつんだよ。
こんなことでグズグズ悩むやつは、前髪が1ミリずれただけで悩むんやろなー。
くーだらねー。
「笑われるかも知れない」なんてねー、もう生まれてよりこのかたさんざん笑われてんだろうが。なにを今さらカッコつけることがあるっちゅうねん。「親切」っていうのは、「はい!またうまく行きましたねー!カッコいいー!パチパチパチー!エヘヘ」なんていうもんばっかじゃないさ。
いろんな人がいるんだから、そりゃいい顔されることもあるし、いい顔されないことだってある。
だいたい「断られたからもうやめます」って意味わかんないよ。
親切ってそういうことじゃないでしょう。「親切」っていうのは、もっと圧倒的なものよ。
もうさ、そーんなに深刻に考えなくていいから、「あーそうですかー座らなくてだいじょぶですかーこりゃまたすんずれいしますた」ぐらいに思ってあっけらかーんとしてりゃいいじゃん。

「高齢者に席を譲る」なんて、全然一大イベントでもなんでもない。それを一大イベントにして勝手に傷ついてんのはただの思い上がりや。
「電車で高齢者に席を譲る」という人が減っているワケ
ダイヤモンド・オンライン 1/18(水) 6:00配信
61%の人が席を譲ろうとして、相手に断られたことがあると回答している実態も
● 若い男性が「どうぞ」と席を譲ったその時……
電車の中でお年寄りに席を譲る――。そんな当たり前の“常識”が、現在では通用しなくなってきている。席を譲らない人が増えてきているのだ。どうしてだろうか?
先日、筆者が電車に乗っていると、ある駅で高齢の男性が乗り込んできた。車内は混雑とまでいかないものの、吊り革につかまって立っている乗客がちらほら、といった感じだった。高齢の男性を見るや否や、若い男性が席を立ち、「どうぞ」と席を譲った。車内には、ちょっとした緊張が走った。高齢の男性は見るからに気むずかしく、席を譲られたことに対してプライドが傷つくのではないかと思われたからだ。
高齢の男性は、「次の駅で降りますので」と若い男性の申し出を断った。車内には、どことなく気まずい空気が漂う。誰のせいでもない。なのに、なぜ我々はこんな気持ちを味わわなければならないのだろうか。現代における“理不尽”の一つである。
この場合は、当人たちや周囲が気まずい思いをするだけですんだが、電車の席を巡っては、時にトラブルに発展するケースもある(当然、席を譲らなかったことによってトラブルになることも)。「お年寄りを敬うべきだ」という常識の聞こえはいいが、実際には「お年寄り」の線引きは難しく、またお年寄り自身の主観によっても違ってくるため、敬う側が心理的な負担を強いられてしまう事態になるのである。
● 「席を譲るべき」派が2割近くも減少
乗り換え案内サービス「駅すぱあと」を提供するヴァル研究所が2016年11月に発表した調査結果によると、「お年寄りなど優先すべき人がいた場合は、優先席では席を譲るべき」と考えている人は75.9%で、2013年に行われた同様の調査と比較すると、約17%も減少していることがわかっている。わずか3年で激減した形だ。
また、「優先席以外でも席を譲るべき」と考えている人は全体で57.1%いたが、こちらも2013年調査と比較して約19%も減少している。ちなみに、優先席、優先席以外ともに女性のほうが男性よりも「譲るべき」と考えていない傾向が強いという。
その一因となっているのは、やはり「譲ろうとしたが、断られた」という苦い経験だ。同調査によると、61.0%の人が席を譲ろうとして、相手に断られたことがあると回答している。つまり、半数以上の人が席を譲ろうとした経験があるにもかかわらず、なんらかの形で拒否された経験があるため、「親切にしても、相手か嫌がるなら……」と萎縮して、その後は譲るのを控えるようになったということである。
現代においては、見た目の年齢も、本人が持っている自己イメージとしての年齢も以前の基準では測れなくなってきている。しかし、当然ながら「お年寄りに席を譲る」という常識は依然としてあるし、それをなくすべきだとは誰も思わない。だからこそ、「席を譲らなくては」という気持ちと、「いや、でも相手が不快な思いをするかもしれない」という気持ちの間で揺れ、居心地が悪くなってしまう。冒頭で紹介したエピソードは、まさにそうした乗客の心理が現れた一例だったと言えそうだ。
また、譲らなかったら譲らなかったで、「なんで席を譲らないんだ」と文句を言われるリスクもある。いったい、どうしたらいいのかと頭を抱えている人も多いだろう。
● 磯野波平と藤井フミヤが同い年の違和感
今年に入ってから、こんなニュースが世間を賑わせた。
日本老年学会と日本老年医学会が、高齢者の新定義に関する提言を発表したのだ。それによると、従来の65歳以上という定義を改め、「高齢者」を75~89歳とするという。さらに、65~74歳を「准高齢者」90歳以上を「超高齢者」と定義した。
両団体は、「高齢者、特に前期高齢者の人々は、まだまだ若く活動的な人が多く、高齢者扱いをすることに対する躊躇、されることに対する違和感は多くの人が感じるところ」とし、「65歳以上を高齢者とすることに否定的な意見が強くなって」いると指摘した。その背景には、「現在の高齢者においては10~20年前と比較して加齢に伴う身体的機能変化の出現が5~10年遅延して」いることがあるとしている。
たしかに、筆者の父親も70歳を超えているが、いわゆる“よぼよぼのおじいさん”にはまったく見えない。個人差はあるものの、社会全体が「アンチエイジング」している現在において、高齢者の定義は難しい。「定年=隠居」というイメージもない。
そもそも、高齢者に限らず世の中の全世代が若返っている印象がある。以前の社会的な年齢のイメージと現在がどれだけかけ離れているかは、「サザエさん」の登場人物の年齢を調べれば一目瞭然だ。磯野波平は54歳であの貫禄だが、同い年の藤井フミヤさんは、まだ若々しい。65歳を准高齢者とする提言にも、頷くことができる。
● マタニティーマークに批判の声も
「席を譲ろう」という親切心が、相手に対し「私はまだ、老人じゃない」という不快感を与えてしまうのは、なんともやりきれない。また、相手がそう感じるのではないかと忖度し、声をかけるのを萎縮することによって、本当に席を譲らなければいけない人が不利益を被ることがあるのだとしたら、それは由々しき事態である。
さらに、当然お年寄りだけではなく、妊婦さんにも席を譲るべきだとは思うが、見た目だけでは判断つかない場合がある。「万が一、違ったら失礼になる」と考える人も多い。妊娠を周囲に知らせる「マタニティーマーク」もあるものの、それを付けていることによって、逆に妊婦さんが不快な思いをする事態も発生しているという。
なかにはマタニティーマークを見て、「幸せ自慢か? 」「妊婦は偉いのか? 」「不妊治療をしている人の気持ちも考えろ」と思う人もいるそうだ(産経ニュース2016年1月1日付)。個人的には妊婦は偉いと思うのだが、どうだろうか。少なくとも批判の対象になるのは、どう考えてもおかしい。しかし、世の中にはいろいろな考えの人がいるものだ。ますます公共の場での振る舞い方が、難しい時代になっている。
数十年後、仮に自分が電車の中で席を譲られるようになったら、「ああ、自分もついにそういう年齢になったんだな」と自覚して、譲ってくれた若者に素直に感謝したいと思う。しかし、三十代中盤の今、お年寄りに率先して席を譲るかどうかと問われたら、答えに窮してしまう。相手を怒らせてしまって、妙なトラブルに巻き込まれるのは御免だからだ。おそらく見ないふりを決め込むか、もしくは電車が駅に到着したタイミングを見計らって黙って席を立ち、別の車両に移るかだろうと思う。
どちらにしても、相手とのコミュニケーションを避ける戦略だ。なるべく後者を選択したいと思っているが、そんな選択しかできない自分の度量が情けなくもある。
当連載についてご意見がある方は、筆者のTwitterアカウント(https://twitter.com/miyazakid)にご連絡いただきたい。すべてに返信できないとは思うが、必ず目を通したいと思う。
(フリーライター 宮崎智之)