僕は、世間の人が、信仰が持てなかったり、神に対する認識が間違っていても、「仕方ないですね」なんて大目には見ません。
「じゃあその人だけ宗教は免除でいいでしょう」なんて言わない。
できるまで、小言を言います。
あなたの子どもがね、算数が0点なのに、「それでもいいよ」なんて言いますか。「0点でも友だち思いの優しい子に育ってくれればそれでいい。勉強ができることだけがすべてじゃないしね」なんて言いますか。いくらなんでも0点じゃ困るから、どんな親だって、せめて進級卒業できるとこまでにはしてやるんじゃありませんか。これが親じゃなくたって塾の教師でもそうでしょう。
もし、ほんとに天国や地獄という厳しい裁きの世界が厳然とあって、あなたは信仰を持っているけど、あなたの子どもが、神も信じない、なにも信じない、このままでは大変なことになるかも知れないっていったときに、おとなしく傍観していられるんですか。絶対にそんなことはさせまいと思うんじゃありませんか。
あなたの子どもが、魚を食べたくないと言ったら、「そうだね、うん、食べたくなかったら食べなくていいよ」って言うんですか。言わないでしょう。僕は、誰の親でも子でもありませんが、「あなただけ特別に宗教なしでいいですよ」なんて言いません。
僕がここまで宗教を勧めるのは、人間というものは、何が善で何が悪かが、わかるようでわからないからです。
人は、悪というのは、法律に引っ掛かることだと思っているのです。あるいは新聞に載ることだと思っているのです。そうではないでしょうか。だから、「人に迷惑さえかけなければなにしたっていいと思うけどね」なんて言うのです。
果たして、この世の中で、本当の善悪を教えてくれるところがどこにあるでしょうか。家庭にあるでしょうか、学校にあるでしょうか、会社にあるでしょうか。学校では、「いじめを見たらやめさせろ」とも言わないではありませんか。だから、見て見ぬふりをする人間の一丁上がりになってるんじゃありませんか。
「悪をなす」ことは明確な悪で分かりやすいですが、「悪を止めない」、「善をなさない」ことも、悪になることがあるのです。そういうことを知らないでしょう。
たとえば、往来で倒れてる人を見た。それなのに、声もかけなかった。たとえば、犯人らしき人物を見かけたのに、通報しなかった。たとえば、いじめを目撃したのに、助けなかった。全部悪ですよ。
企業が、単なる金儲けに終わって、なんらの奉仕もしなかった。これも悪です。
あとからエレベーターに乗ってくる人がいるのに、ドアを開けて待っててあげない。これも悪です。トイレがつまっているのに、教えない。これも悪です。本屋で立ち読みした雑誌を、もとの場所に戻さない。これも悪です。読み終わった新聞や飲み終わった缶を電車内に置き去りにする。これも悪です。
店で多く渡されたお釣りをくすねた。ポットのお湯がなくなっているのに教えない。落ちてた財布から現金だけ抜き去って懐に入れた。エレベーターのボタンを全部押していたずらをした。自分が疲れてるからといって、もっと具合の悪い人のために席を立たない。道をふさいでいて、他の人がよけている。道路につばを吐く。白紙の領収書に適当な金額を書き込む。酔いつぶれて道端に寝そべる。駐車場の料金を踏み倒す。時間に遅れた理由をごまかす。人から借りたものを返さない。「ご自由にお取り下さい」とあるからと言って、好きなだけ取っていく。お一人様1点限りと書いているのに、欲張って持っていく。
あなたは日々どれだけ悪を重ねていますか。人間は、こんなにも善悪というものに疎いんですよ。
「こんなちっぽけなこと」って思うんでしょう。
「神の正義」と「人間の正義」は、全然違うんですよ。重なりあう部分も大きいですが、人間の正義というものは、「自分に都合のいいことだけ」ですから。
こういう、神の心に叶わないことというのは、全部「減点」になっているのです。これを打ち消すぐらいに、善をなしていかなければばらないのですから、大変です。しかし、では、何が善なのかわかるでしょうか。悪がわからない人に、何が善かがわかるでしょうか。
気づかないうちに起きている減点を、どうすれば抑えられるのか。そして、いったい何が加点になることなのか。こういうことは、宗教でなければ教え得ないんですよ。テレビを見てもわからない。パソコンを見てもわからない。著名人の講演を聴いてもわからない。国語でも算数でも理科でも社会でもわからない。だから、宗教なんです。