「悪魔はなぜ滅ぼされなかったのか」。
こんな疑問を持つ人もいるでしょう。
「七大天使だったルシフェルが、サタンという名で地上に生まれ、欲望を募らせ、神に反旗を翻し、死後、悪魔の帝王として君臨し、悪霊の子分を増やし、確信的に人間を狂わせ始めてから、神はなぜ、すぐに悪霊、悪魔を滅ぼさなかったのか。すぐ滅ぼしていれば、私たちは苦しまずにすんだのに」。
この疑問に答えましょう。
神は全知全能でありますから、悪魔を一瞬にして消し去ることは雑作もないことです。
しかし、悪魔を滅ぼすなら、人間もただちに滅ぼさなければならなかったのです。
なぜなら人間も神に反逆したからです。責任は、悪魔だけでなく、人間にもありました。
悪は、悪魔の誘惑と、人間の承諾によって成り立ちます。人間は、自分の意思で悪魔の仲間になるのです。
例えば、あなたが悪知恵が働く者に誘惑されて、犯罪に手を染めてしまったとしましょう。
警察は、誘惑した人だけを逮捕して、あなたを無罪放免にするでしょうか。
悪知恵が働く者を悪魔と置き換えても同じです。
一方を罰するなら、もう一方も罰しなければなりません。
人間は、悪魔の誘惑を拒むこともできたのです。
悪魔に誘惑されたからといって、人間がきちんと信仰心を持ち、神とつながり、神の側にいれば、悪の道には入りません。人間は、悪魔の誘惑に自分の意思で乗るのです。
だから、悪魔を滅ぼすなら、共犯である人間も滅ぼさなければならなかったのです。
しかし、神は人間が滅びることを望みませんでした。
神が悪魔を滅ぼさなかった理由のもうひとつは、「神の支配のもとにあること」と「悪魔の支配のもとにあること」の違いを、人間が思い知るためです。
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人間は、自ら神に背いて、悪魔に従います。
しかし、神を抜きにして悪魔に従うことは、決して人間に、真なる正義と平和と幸福をもたらさないということを、人間自身が思い知らなければなりません。
仏教にも、「善因善果、悪因悪果」の教えがあります。
キリスト教には、「神は、人から侮られることはありません」とあります(ガラテヤの信徒への手紙)。
人間は、神に従うことの結果と、悪魔に従うことの結果の大きな違いを、いずれは体験することになるのです。
そして、神なしでは正義と平和と幸福の社会を築けないということが明らかになった時に、神は悪魔に終止符を打ちます。
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「悪者どもが、青草のように萌え出でようと、不法を行なう者どもが栄えようと、それは彼らが、永遠に滅ぼされるためです」(詩篇第92節)。
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こうして神は、やがて悪に終止符を打ち、神の支配を喜んで受け入れる人びとに、正義と平和と幸福の国ー「神の国」を与える、ということなのです。
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