

なんか、新聞やらネットやらのニュースを見てたら、また「あること」を悟っちゃったよ。
この「いじめはなかった」っていう記事がきっかけになったんだけど。
まあこれは、ほんとにいじめはなかったのかも知れないよ。
それについてはわからない。
だけど、ちょっと前は、飛行機のなかで子どもをちゃんと見てなかったバカ親のために、CAが腰の骨を骨折したでしょう?
先月、「為さない罪」と題して書いた時は、市や住民が危険とわかっていながら、何らの対策もとらなかったために、交通事故で尊い子どもの命が失われたし。
同じ記事で書いたけども、俺のうちの近所でも、道路に木の枝葉が飛び出していて、後ろからも車が来るから危ないと感じられるところがあるわけだ。
そこも、俺が口酸っぱくして助言しても、市はなんのフィードバックもしてこないし、なんにも手を打たない。
これらに共通してる人間の特徴を見てみると「ある共通の法則」があるよね。それは何かっていうと、「しらばっくれたもん勝ちになってる」ってことだよ。

世の中っていうのは、「しらばっくれた者勝ち」になってんのよ。
回りを見てみな。
22日、俺が新宿から帰って来る時も、満員電車のなかで、70~80ぐらいの白髪のおばあさんがおしくらまんじゅうになって立ってるっていうのに、7人掛けのシートに座ってるやつは誰一人として席を立たなかった。みんなしらばっくれてるわけだよ。ね?

ごみが落ちてても誰ーれも拾わないね。

忘れ物があっても誰も届けないね。
みんなしらばっくれてるわけ。
どうせお前もしらばっくれてる人間の一人なんじゃないのか?
しらばっくれた結果、どうなるかっていったら、誰も責任とらなくていいわけだよ。誰の責任でもないから、誰も咎められない。そうだろ。
それを狙ってんだろ。誰のせいにもならない。だから、それをいいことに、どんどんどんどん「しらばっくれる社会」が加速してってるじゃないか。
「一億総しらばっくれ社会」だわな。
これじゃあダメだと思うよ。ほーんとに。
だから学校は、いつも「いじめはなかった」なんて平然と言い放てるんだろ。「確かに我が校にはいじめがありました」って正直に認めた学校がいくつある?
電車から学校、会社まで、至るところにこんなに「しらばっくれ」が蔓延してるじゃない。
こういう風潮に呑まれちゃダメだろう?違うかね。

だから、こういう悪しき風潮に対抗する手段っていうのは、「行動する人」になるってことだと思うよ。
「隣の人がどうか」はどうでもいいのよ。隣の人が死んだらお前も死ぬのか?違うだろう?だから、隣の人に合わせることになんの意味もないの。
こんなとき、俺は中島みゆきの「ファイト!」を思い出すんだよね。
ファイト!のなかにあるでしょ?「闘う君の唄を闘わないやつらが笑うだろう」って。自分が「闘う側に立っているのか」、「闘う者を笑う側に立っているのか」、よく考えたほうがいいんじゃないかな。
世の中は行動する人を求めてるんだよ。
いじめを見たら止める。ね?
忘れ物を見つけたら届ける。ね?
お年寄りやからだの不自由な人を見たら、自分が真っ先に席を立つ。ね?
そういう「行動する人」こそが、一番「まとも」なのよ。
だから、俺はそういう「行動する人」でありたいと日頃から思っているわけ。
追伸;
前々から言ってた、例のうちの近所の危ない道路、あれ、やっと、俺の説得が通じて、危ない枝を切ってもらえるようになったよ!やっと、6月から言ってたのが、5ヶ月ぶりに市が動いてくれることになった。まあ、市が動かなかったら、訴えられても俺がやるつもりだったけどね。月曜日に、市の公園緑地課の人と打ち合わせをすることになった。