
あっしのブログって、なんてこんなにつまらないんだろうって、自分で思うわ。申し訳ない。もっとなんかこう、明るいことが書けないもんかなー?
「空気を読む」っていうのは、山本七平が「日本人は空気を読む国民性だ」と言ったのが最初なのかな?
空気を読むとは、今でも聞く言葉だ。
だけど、空気を読むっていうのも、良し悪しだよね。
そもそも「空気を読むやつ」が善で、「空気を読まないやつ」が悪という風潮は、いかがなものだろう。
空気を読んで、三菱とかスズキが報告をごまかしたり悪いことをしてたんだろう?
問題になってんじゃん。三菱だけかと思っていたら、スズキまでそうで、ひょっとしたらまだ出てくるかも知れない。
あるいは、学校なら、空気を読んで、多数派のいじめに加わったり、いじめを止められなかったりしてんじゃん?自分がいじめのターゲットになりたくないがためにさ。
違う?
「悪いことは悪い」という声があげられないというのは問題だ。
「空気を読む」って、言葉を換えれば「大きな流れに逆らわない」ってことでしょ?つまり、最悪「長いものには巻かれろ」になってしまう。
そんなんだったら、空気なんか読まないほうがいいわけだ。
「空気を読め」というのは、「ひとつの考えに従えよ」ということで、いろんな考えを持つことを認めないということだ。そうだろ?
そうしてみると、「空気を読め」、「KY」というのは、独裁と同じってことだ。
民主主義を愛するなら、これと断固闘わなければならないはずだろう。
また、「震災が起きたときは自粛しなければならない」も、一種の空気を読む一例かも知れない。
「空気を読め」というのは、独裁だ。少なくとも民主主義ではない。
空気に逆らった結果、組織から排除されてしまったり、排除を恐れるあまり誰一人空気に逆えず、組織ごとあらぬ方向に突き進んでしまう、これが企業の不正や不祥事を起こしているのではないか。
「空気は読むものだ」っていうのは、明らかに「脅迫」、「強迫観念」よ。
「空気」によって、自由にものが言えないとか、本来自由なものが封じ込められてしまうなんてことは、あってはいかんだろう。
そして、空気というのは、責任のありかもわからない。責任はうやむやのままだ。
それからね、空気を読まないやつっていうのは、強いのよ。空気を読むやつは弱いでしょ?空気ばかり読んでる人間は、風に吹かれて飛んでいく袋のような存在と言ってもいいんじゃないだろうか。
空気の読めない奴=変わった人物とされがちだけど、立ち止まって、流れに棹さす人物も必要よ。
だから、「空気は読むが、空気を読んでも、必ずしも空気に従わない」、があっしの持論。