今日ね。

幸福の科学YoungBudda渋谷精舎に行ってきたんだ。

「両親に対する反省と感謝」研修で。

前に親父を恨んでる内容の記事を書いたよね。記事→こちら

「両親反省」は、前から気にはなっていた研修だった。

だけど、タダじゃないから、なかなか行けてなかった。

だけどこのまま親父を恨んだままじゃオレも苦しいから、死にきれないから、意を決して行くことにしたんだ。

どうだったかと言えば、行って大正解だったわ。

今まで、オレは親父との関係を、自分なりに整理しようと試みて来た。

自宅でさんざん考えてもみたよ。

親父から受けた恩とかね。

それなりに思い出して反省してみたけど、だめなんだよな。

恨みが晴れないんだよ。

で、ブログにこうした恨み節まで書いた。

自宅と幸福の科学の施設は、全然違うんだよね、波動が。

説明やらまとめやらはさんで、両親反省の時間は75分だったんだけど、精神統一してると、だんだんインスピレーションが降りやすくなってくるんだよね。

で、60分ぐらい親父について反省を進めてたんだけど、終わりの20分ぐらいで、急転回したんだよな。

パーッと目の前が開けた感じになって。

「これをしてもらった」、「これもしてもらった」っていうのが、ポーンと出て来たんだ。

それは、「親父に力強く抱き抱えられてたこと」とか、「道で危なかったとき、親父に強く歩道側に引っ張られたこと」ということで、なんでもないようなことなんだけど、それを思い出しただけで、スーっと楽になってね。ずっとつかえてたものが取れてドーッと涙が出たんだ。涙やら鼻水やらが。「お父さんはちゃんと使命を果たしたんだ」って思えたよ。

この、涙が出るっていうのが、「法雨を流す」と言われるもので、この涙が出ると、反省が十分にできたっていう証拠なんだよ。自宅ではこういうのはなかった。

ほら、お寺の「五百羅漢像」とかを見ると、羅漢さん(修行者)たちが、上を向いたり下を向いたりして、口を開けて泣いてるような感きわまった表情をしてるだろ?あれが、それを表しているんだよ。「反省ができて、悟りの入り口に立った喜びを表してる」と言われるんだ。

ガサガサした波動の荒い俗世ではこういう経験っていうのは無理なんだな。

そのために宗教施設っていうのはあるんだよ。

「いったん普段の生活から離れる」っていうね。現代版「山籠り」というとこかな。

そうやって山籠りと同じような感じにすることで、まったく新しい発見ができてくるわけ。

オレは、今まで親父に対するわだかまりと自己流で格闘して来たけど、どんなに頑張ってもできなかったのが、たったの1日、4時間でできて、終わってきたんだよ。全部、涙と鼻水とともに流して来た。

「宗教の意味」っていうのは、こういうものよ。

みんなは幸福の科学ってどんなとこか、どんなことをやっているのかわかんないだろ。

誤解してると思うけど、こういうことをやってるんだよ。

人生で直面する諸問題を片っ端から解決していくの。

「宗教」とか「幸福の科学」っていうと、勝手な解釈で誤解してて、誤解をそのまんまにしてる人が多くてかなわんわ。

「宗教」っていうと、あるイメージを持ってるだろうけど、絶対、違ってるよ。断言する。それは、主観であり、先入観であり、偏見だから。

ほんま、正しく知ってほしいよ。

やっと、「親父」だったのが、今日「お父さん」になったよ。

みんなはちゃんと両親との葛藤を乗り越えられているかね?

「宗教で救われる人がいるんだね」と言うかも知れないけど。

他人事じゃないよ。



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