

幸福の科学大学シリーズの本、「八正道の心」の「如実知見」の項から紹介したいと思います。幸福の科学の本は読んでないだろうと思いますから、ここで読んでみるのはいい機会でしょう。
「同じ学校の卒業生でも、同じではない」という視点は、意外に忘れているものです。
正見において、最初は「正しい信仰かどうか」ということを考えていただきたいのですが、ある程度、信仰が確立してきたら、次に、如実知見、「自分は、白紙の目で正しく見ているか。ありのままにみているか。バイアスがかかっていないか。親が何十年か言ってきたことを、そのまま引き継いだ目で見たりしていないか」ということを考えていただきたいのです。
例えば、資産家は、やはり財産が好きなので、人間の偉さを、財産があるかないかで判断しがちですが、 親が資産家で、そのような事を二十年も三十年も家庭の中で言い続けていたら、子供もその影響を受けます。
そのため、子供も、人を見ると、まず金持ちかどうかを考え、「家はどのくらいの大きさか。土地はどのくらいの広さか」というような視点で相手を判断するようになったりします。
あるいは、車が自慢の家の人であれば、人に会うと、「あなたの車は何ですか」と車種を訊いて、「その車に乗るような人は、まともな人だ」 「その車に乗るような人は、派手な人だ」などと、相手を車で判断する人もいます。
現在では人を学歴で判断することが一番多いでしょう。
もっとも、ひとつの学校には何千人も何万人も卒業生はいるのですから、卒業生全員が同じであるはずはないのです。
校風はあるでしょうし、ある程度、その学校の方針もあるでしょう。しかし、その学校に入った人が、みな同じような人になって卒業するわけではありません。一定のイメージはあるでしょうが、「この学校を出ているから、こうだ」とは、必ずしも言いきれないのです。
ところが、たいていは、「この学校の卒業生ならば、こういう人だろう」というレッテルを貼って終わりにすることが多いわけです。
学校に入る段階では、同じような学力の人が多いのでしょうが、入学後は、上は90何点の人から、下は50点も取れずに赤点になる人まで、いろいろです。また、卒業後も、各人の精進のあり方は、バラバラです。
学校による一定のイメージはあってもよいのですが、やはり人による違いもわからなければいけません。
「白紙の目」で見ていない人は、家柄、お金、学歴、偏差値など、何か、そういうレッテルで人を見ています。
例えば、「医学部の人は、みな頭がよいのだろう」と思うかもしれませんが、医学部にだって、いろいろな人がいます。
そのような見方は甘いのです。それは人によりけりであって、そういう人もいれば、そうでない人もいます。
「白紙の目で見る」ということは難しいことです。どうしても先入観が入ります。過去に一定の基礎情報が入っているため、先入観があり、その先入観に基づいてものを見てしまいます。この先入観を外して白紙のかたちで見る、仏法真理の立場から見るということは、難しいことなのです。
まず、この修行をしてください。
「八正道の心」P43~47より