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オレもblogの書き方が変わったな。

すんげえ変わった。

かたひじ張らずにリラックスして書けるようになった。

辛辣な事書かなくなったし。

「バカ」とか書かなくなったからね。

神を信じない人間に向けては、前は「バカ」と書いていた。

じゃあ今ではバカと思ってないかと言えば、そんな事はない。

だけど、「バカ」っていう事ではなくて、そういう無神論的環境で育ってしまった以上、そうなってしまうのはよんどころない事なのかもなとは思う。

オレなんかは恵まれていたんだ。幼少時に親が離婚したために実家に預けられはしたけど、実家のおばあちゃんがそれは信仰深い人でねー。毎日読経つきあわされて、丸暗記したぐらいだからさ。

だから、オレが宗教なんかを信じてるのも、突然、人生の歯車が狂った訳でもなく、どこからともなく啓示が降りて来て「信じろ」という声が聴こえたから信じてる訳でもなくて、自然の流れなんだよ。オレは、ガキの頃から信じているんだ。オレにとっては、小学校の算数よりも早かったことで、当たり前の常識なんだよ。

だから、オレは恵まれていたけど、恵まれてこなかったかわいそうな人に、正面からストレートに悪口雑言をぶつけるのは酷だなと思ってきたんだ。

「バカ」とは言わないし、思わないとしても、「お気の毒に」、「残念だね」とは思う。個人がどうのこうのというよりは、無神論が正しいような気運が嘆かわしい。

だってね、「神」は、人類を創造したもうた方な訳だよ。宗教的には。

オレが、読みたくもないだろうと思いながらも、折を見てそういうテーマを書いているのは、「神を信じる」というのは害にならなくても、「神は信じない」というのは害になるからだよ。もし、神がいた時にね。万一、神がいたらどうする?「神は信じない」といって、一生を送ってしまった人はどうなると思う?「神は信じない」と言い続けてしまった人は、神の前に出られるか?神に顔向けできるか?できないだろう?

親子の関係で言えば子に当たる人間が、親なる神を見向きもせず、求めもせず、おのれ一人でこの世に生まれてきたかのごとく振る舞っている現在の姿は、まことに恥ずべき状態であると言わざるをえないと思うんだ。

もしね、自分の子どもが、大きくなって、「わたしたちはだれかによって生み出された存在ではないんだ。だから、どう生きていこうが自由ではないか」、「わたしたちは偶然の産物だ。自分の感覚どおり生きていけばよいのだ。自分の好き勝手に生きて何が悪い」、「オレは親なんか知らない。知るもんか。オレは親なんか信じないし、オレに親なんかいない。みんな、親なんかいないんだぞ。変なやつらに騙されるな」、そんなふうに言い合っている時、そこにその子の親が現れて、そんな姿を見て、そんな会話を聞いたとしたら、どれほど涙を流すことだろうかね。

「ああ、私たちがあれほど苦労して育てて、送り出したわが子は、かくばかりに愚かなことを言いつづけている」、そのように嘆き悲しみ、涙にくれるだろうと思うんだよな。