さて、今回は東京の水がめ山口・村山貯水池に関する話題です。

皆さんはこの建物の存在をご存じでしょうか?

 

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これは山口貯水池の湖畔、管理事務所裏手の小高い丘の上にある建物で、約3年半前私が付近に訪れる機会があった際に撮ったものです。

去る2021年9月26日にテレビ朝日系列「ナニコレ珍百景」で取り上げられたこともあり、記憶に新しいという方も多いのではないでしょうか?

 

この構造物に関して調べていた折、東京都水道局に問い合わせたところ、概要が判明しました。

結論から言うと…上水の貯水タンクということでした。

山口貯水池管理事務所、及びその関連施設向けに所沢市が設置したもので、現在は使用されていないようです。

また、貯水池の事務所施設だけでなく、周辺の民家へも給水を行っていたそうです。

建物の内部には、金属製で円筒形の貯水タンクが入っているとのことでした。

本来ならばここで典拠を示すべきところですが、貯水タンクに関する図面は内部資料とのことで閲覧・転載することは叶いませんでした。

 

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上記の写真は、同じく約3年半前に訪れた際、扉上部の隙間から中を撮影したものです。

はっきりとは記憶していませんが、言われてみると赤さびた大きな物体が入っていた印象があります。

 

貯水タンクの具体的な建設時期に関して、詳細な時期は分かりませんでした。

しかし、使われている部材から大まかな年代を推定することが出来ます。

 

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画像は貯水タンク上屋の下半分、一部表層が剥離していた箇所を拡大して撮影したものです。

最初私も煉瓦かと思っていたのですが、よく見ると煉瓦風なのは表面に貼られているタイルだけで、その中は大小の礫が混じったコンクリートになっています。

 

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調べてみると、これは“スクラッチタイル”という外壁の装飾方法で1930年代に流行し、かの帝国ホテル旧本館にも使われていたものだということです。

このことから、貯水タンク及びその上屋は1934年の山口貯水池竣功時、もしくは竣功時からそう遠くない内に建設された可能性が高いと言えます。

 

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山口貯水池管理事務所は山口貯水池竣功時に併せて建設されたもので、現在では東京都から委託された民間の事業者が管理をしています。

事務所の建物は当時のまま現存しており、昭和初期のモダニズム建築を今に伝えています。

 

上記の写真は、1934年3月に行われた山口貯水池竣工式の様子を写したものです。

当時も一番奥に見える管理事務所以外に様々な建屋があったことが窺えます。

写真右手に見える斜面を登って行った先に、貯水タンクが設置されました。

 

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現在のほぼ同じアングルからの一枚です。遊歩道の曲がり具合が往時を忍ばせます。

 

 

構造物の正体は“貯水タンク”ということでほぼ確定しましたが、ここからはその他の可能性についても念の為検証していきます。

 

〈山口貯水池堤体のひずみ測定所〉

この構造物の注目すべき最大のポイントとして、上に国土地理院の二等多角点と所沢市の公共基準点が設置されていることが挙げられます。

国土地理院の基準点成果等閲覧サービスによると、この二等多角点に関しては、2014年3月に標高改算が行われており、かつては定期的に標高の測定が行われていた可能性を示唆しています。

標高改算というのは、過去の観測値を用いて標高を算出することです。

貯水タンクが現役だった頃、同時にこのような基準点が屋上に設置され、その数値の変動から堤体や地形のひずみを測っていた可能性については完全には否定できないのが現状です。

 

 

〈山口貯水池余水吐隧道の点検立坑〉

上記は山口貯水池の竣功を記念して作られた絵葉書です。

この構造物のほぼ直下には、原水を山口貯水池から東村山浄水場まで送る導水管(引出水路・山口線)とは別に、北東方向の柳瀬川へ注ぐ余水吐の隧道が存在しています。

 

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あの構造物の地点から東へ進むと、標高がグッと下がっていき、その先に余水吐が開渠となっている箇所があります。

 

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当初は私もこの地下水路へ降りるための点検坑として使われていたとも考えていましたが、保守点検に際して、坑口に向かって左側の梯子を伝って降りられることから、この可能性は低いと結論付けました。

 

 

〈展望台・観光施設〉

展望台という説は、先述した「ナニコレ珍百景」の番組内で挙げられたものですが、可能性は低いと言わざるを得ません。

この構造物は天井部分に金属製のハッチがあり、内部から恐らく梯子で外へ出られるようになっていると思われます。

仮に四隅の柱が当時は更に上まで伸びており、その上に展望デッキ部分があったとしても、下半分だけを残して撤去するのは不自然に感じます。

また、この場所からさほど遠くない場所に当時は狭山富士という人工の小山があり、そこからは狭山湖を一望できたそうで、それより標高の低いこの場所に別の展望台を作る理由があるでしょうか。

 

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戦前、狭山湖(山口貯水池)一帯が観光地として開発されたことから、貯水タンクのすぐ脇には藤棚が存在します。

作られた年代が近い可能性はあるものの、直接的な関係は無いと思われます。

 

 

〈軍事関連の遺構〉

山口貯水池の周辺には第二次大戦下に高射砲陣地等の軍事施設が造られました。

しかし、いずれも狭山湖の南岸にあったもののみで、現在の村山・山口貯水池管理事務所近辺にそのような遺構があったという記述は私が調べた範囲内では確認できませんでした。

 

 

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上記は現在の貯水タンクの写真です。

昨今、話題になったことを受けて立入禁止のテープが設置されました。

建設されてから相当の年数が経っており、老朽化しているため大変危険な状態です。

むやみに扉を開けたり、上へ登ることは絶対にしないようお願い致します。

また諸般の事情から、テレビ局への情報提供等はお控えいただけるとありがたいです。

現地へ訪れる際は、周りから眺める・写真を撮るまでに留め、往時の山口貯水池に思いを馳せてみるのも悪くないものです。

また、今回この記事で記述したことは、東京都水道局の関係者の方々のご尽力無しには分かりえなかったことです。

この場をお借りして心から感謝申し上げます。

皆さんも狭山湖にお立ち寄りの際は是非足を運んでみてはいかがでしょうか?

それでは!

 

 

 

【おまけ】竣功当時の山口貯水池取水塔

 

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