JR常磐線石岡駅に接続し、茨城県鉾田市の鉾田駅までを結んでいた。旅客減少による赤字に、百里基地への燃料輸送中止が追い打ちをかけ2007年4月1日廃止。
探索日:2018年4月29日
石岡南台駅。
付近にはニュータウンが整備され、一昔前の郊外といった雰囲気。
開発当初は鉄道における利便性が目玉だったのだろうが、今は廃止されてしまった。
時間の都合上、今回は幾つかの箇所をピックアップして載せていく。
どのあたりがフローラルなのかはイマイチ分からない。
とは言っても線路跡を活用したBRTが運行されており、平日8時台に最大5本、最低でも毎時2本は確保されており、むしろ鉄道時代より利便性は上がったと言える。
跨線橋が残っているが、反対側のホームは使われていない。
関鉄グリーンバスが代替バスを運行している。石岡駅と茨城空港を結ぶ連絡バスもここを通る。
もちろん一般車両は進入禁止。
石岡方面を望む。
四箇村駅。
石岡駅から5.1キロ。バス専用道はここで途切れている。
簡素ではあるが、屋根付きベンチがあった。
四箇村駅より東側は未整備の路盤が続いている。
状態は良好で、舗装すればすぐに活用できそうだ。今後の進展に期待したい。
小川高校下駅。
駅がほぼ当時の状態まま残っている。
“未来へ走れ!” そんな言葉さえも、今となっては虚しい。
空っぽの駅名標。
駅名の由来でもある茨城県立小川高校は2013年に閉校となり、後に小美玉市立小川南中学校として利用されたが、それも新校舎の完成に伴い解体されてしまった。
高校3年生の夏休みに免許を取る人に向けたものだろう。
プラットホーム上にも、お構いなしに草が生い茂っていた。
八木薪駅。
森の中にひっそりとある無人駅。
八木薪駅の東側はバラスト敷きが続く。
藪が酷くなってしまったのでここで一旦引き返した。
国道355号との立体交差付近。
手入れがされていない線路敷きは、何メートルにも成長した草のお陰で見分けやすい。
この表紙と同じ場所なのだ。目を閉じてみれば気動車が走ってくる風景がまぶたの裏に浮かぶ。
出典:新・消えた轍4 関東(ネコ・パブリッシング)
石岡駅から25キロ地点。
こんな落書きも。青春時代を過ごした高校生も、今はいっぱしの大人になっていることだろう。
石岡方面を望む。
もう少しで竹林に飲み込まれてしまいそうだ。
鉾田方面の路盤は深い藪と化していた。
終点の鉾田駅。
かつての駅前は関鉄グリーンバスの車庫として使われている。
崩れかけたプラットホーム。かつての面影は見る影もない。
石岡方面のりば
八木薪駅と同様の“1”
気動車特有の汚れが地面に残っていた。
≪おまけ≫
鹿島鉄道で活躍していた車両達の中には、今でも保存されているものがあります。
キハ430形432
場所:医療法人白帆会 小川南病院 (HPはこちら)
※私有地内ですので、見学の際は病院の方に一声かけてからにしましょう。
ちなみにこの車両は東武熊谷線キハ2000形とほぼ同じ形式。
こちらが熊谷線の車両。ライト以外は本当に良く似ている。
(以前書いた東武熊谷線の記事は→こちら)
ご厚意で車両内部に入らせて頂きました。
昭和32(1957)年 東急車輌製。
廃止時にはDVDも発売されたようだ。
キハ600形601
場所:ほっとパーク鉾田 (HPはこちら)
1936年川崎車両製。何と車齢は84年!
KR-500形505
場所:ほっとパーク鉾田
平成4(1992)年新潟鐵工所製。
片隅には、何処かの橋梁の一部らしきものが置かれていた。
保存会の方々がここで活動されているのだろう。
以上で今回の探索は終了です。石岡~鉾田まで総延長は27キロ程になるので、車や並行して走るバスでの探索をおススメします。廃止が2007年と比較的最近の為、遺構はそれなりに残っていました。駅や橋梁などポイントを巡るだけでも十分楽しめるかと思います。コロナが収まり、外出が通常通りできるようになったら皆さんも是非足を運んでみてはいかがでしょうか?
それでは!
〇Wikipedia鹿島鉄道線
→こちら
〇鹿島鉄道公式HP
→こちら
〇関鉄グリーンバス
→こちら
〇さよなら鹿島鉄道鉾田線‐BIGLOBE
→こちら
〔関連動画〕
《Twitter》
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【廃線探索ナンバリング №42】