相模線 寒川駅付近から分岐し、西寒川駅までを結んでいた路線。当初は相模川で採取した砂利の運搬を目的としていたが、西寒川駅付近に相模海軍工廠が開設されたのに伴い旅客化。工員の輸送を担った。戦後も細々と旅客営業を続けていたが、1984年3月31日廃止。

 

探索日:2018年4月8日

 

西寒川支線はこの辺りから分岐していた。

 

コンクリート境界柵のカーブが線路跡を物語っている。

 

県道44号線を挟んで、ここからは終点の西寒川駅まで遊歩道として整備されている。

 

新緑が心地よい。

 

 

一之宮公園の一部に取り込まれている。

 

車輪のモニュメント。刻印を探したが、これといって見当たらなかった。

 

公園内には数十メートル線路が残されており、間近に触れることが出来る。

 

枕木が腐ってしまっているのが幾つかあって、正直良い保存状態とは言えない。

 

 


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先程とは別の車輪。

 

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車軸部分。八幡製鉄所だろうか?鉄道レールで見る刻印は四つのひげがあるのだが、これはただの円。

 

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車輪部分。数字の羅列は製造番号や製造年月日なのだろうが、文字がつぶれかけてしまって判別するのは厳しい。一番下には住友金属の社章が確認できる。

 

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反対側の車軸部分。日立製作所製。

最初はモニュメントを作るために廃材を寄せ集めたのかと思ったが、調べてみると複数の企業が合作で作ることはよくあるらしい。

 

公園を抜けると、再び遊歩道が始まる。

 

 

程なくして、西寒川駅跡に到着。

 

一之宮緑道。

 

 

相模海軍工廠跡の石碑。

西寒川駅南側の跡地一帯は、今は工業団地になっている。当時ここでは毒ガスに関する研究が行われていたようで、防毒マスクの生産が主力だったようだ。

 

以上で今回の探索は終了です。寒川駅は都内から1時間半で片道1,000円と、線路が残っている廃線としては気軽に訪れやすいと思います照れただ残念な点を挙げるとしたら、何の関係もない車輪が置かれていたことでしょうか。太子線の太子駅然り、車両を各地から集めて集客を狙う気持ちは分かるのですが、ただ鉄道繋がりのものを集めて置けばいいという風潮には疑念を感じざるを得ませんショボーンこればっかりは一般の方と、界隈の人との意識の差なのでどうしようもありませんが…例えば、線路を模した地面の装飾も実際の幅とは全然違っていたり…ということはよくあります。とは言っても、そんな事気にするのは一部の人だけなので、雰囲気作りとしてはアリなのかなとは思いますキョロキョロ

皆さんも是非足を運んでみてはいかがでしょうか?

それでは!

 

〇Wikipedia西寒川駅

 →こちら

 

〇気動車が駆け抜けた廃線の旅-相模線「西寒川支線」をゆく|マイナビニュース

 →こちら

 

〇歩鉄の達人 国鉄相模線(西寒川枝線)

 →こちら

 

〔相模線西寒川支線 当時の映像〕

周囲の風景は当時からほとんど変わっていません。

 

≪その他の活動媒体≫

〇Twitterセキセイインコ青

 →こちら

 

【廃線探索ナンバリング №37】

 

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