東武東上線坂戸駅に接続し、付近を流れる高麗川まで伸びていた専用線。河原で採取した砂利を運搬していた。廃止は1960年代頃か。
探索日:2018年5月27日
坂戸駅西方すぐの所。奥に見えるのが坂戸駅。
東武東上線(左)と東武越生線(右奥にある)に挟まれて、奇妙な線路が存在する。
架線が張られている訳でもなく、ただ西に伸びている線路。
貨車が留置されているが、何のために使うのか全く分からない。簡易的な橋桁のようにも見えるが…
線路は数十メートル続いて、途切れてしまう。
東武の境界杭。うっすらと文字が残る。
線路跡は道路に姿を変える。
航空写真を見ると、周辺の町割りに反していることから廃線跡だと容易に想像がつく。
とはいえ道路さえもこの交差点で無くなってしまう。
砂利線自体はこのまま真っ直ぐ伸びていたが、晩年にはこの辺りから右へ分岐していく専用線があったらしい。確かに1976年の航空写真を見てみると不自然にカーブしていく空き地が確認できるのでガセの情報ではなさそうだ。
そのカーブした先に行ってみたが、痕跡は皆無。幡戸公園という公園があり、ここに工場があったのだろう。原料輸送程度の小さなものだったのか。
再び砂利線に戻る。交差点を直進した線路跡は関越道にぶつかるが、勿論出来る前のお話なので痕跡などある訳もない。奥から手前に伸びていたはず…
坂戸市立浅羽野中学校の校庭を突っ切る。
手前に線路は伸びていた。旧版地図を見ると河川敷に近づくにつれ1本また1本と分岐していたようだが痕跡は全くない。奥が坂戸駅方向。
砂利採取が行われていたであろう高麗川の河川敷は“浅羽ビオトープ公園”として整備されている。
堤防外にあるこのような微高地さえも、何か関係があるのではと思ってしまうのが悪い癖。
この木材は当時のものを流用したものか!?(多分違う)
都会の喧騒から少し離れて、ゆったりとした時間が流れていた。
以上で今回の探索は終了です。坂戸駅構内にある線路の存在は、車窓から見たことがある人もいるのではないでしょうか?このような戦後すぐの貨物線の廃線は痕跡が残っていないのがほとんどです。旅客線なら家族写真のついでに撮ったり、趣味嗜好の対象になりやすいのですが、名もなき貨物線となるとわざわざ撮る人も、当時はほとんど居なかったでしょうねそれが由来して、現在でもこの類は写真がほとんど出回らず、情報もかなり少ないのが現状です。後は文書をあたるしかないのですが、これがまた難しいところですね。。痕跡はほとんど残っていなかったものの、小一時間歩いていい運動になりました
皆さんも是非足を運んでみてはいかがでしょうか?
それでは!
〇Wikipedia坂戸駅
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〇Wikipedia東武東上線
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〇坂戸の砂利線
詳しく書かれています。探索の際に参考にさせて頂きました。
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【廃線探索ナンバリング №35】