一つの政治家の理想の姿であろう。中国の夏王朝の創始者です。一般的に「堯・舜・禹」と一括りにして言われます。しかし堯と舜の方が断然上です。堯と舜の次は一般的に「文王・武王」が名君として出てくると思います。

 しかし「禹」がすごいのは、黄河の治水を頑張り過ぎて半身不随になったのですけど、人は尊敬してその歩き方を「縁起がいい歩き方」と考えた事です。ですから儀式の時にその歩き方をする風習が出来たそうです。

 もうちょっと手を抜いて長生きした方が良かったでしょうけど、でも素晴らしい生き方であります。政治家の一つの理想です。

 それに比べると本当に最近の日本の政治家ってのはダメ人間ばっかりであります。

 

追記

 毎晩毎晩8万円ぐらい飲む政治家、「あ、そうか。これ「みぞう」って読むのか。あ、そうか、そうか。俺、内部進学なもので、勉強しないでも学習院卒なんだよ。酒池肉林の酒ってのは酒の事だな。え?最貧層は1ヶ月8万円で生活してる?あ、そうなの?へー。」に教えてあげたいですね、「酒池肉林は悪い政治家の代名詞ですよ」と。

 

追記

 さて昨日の復習になりますけど、どこまでも品行方正に生きる。そして生まれる度に「理想的な人物」として歴史に名を残す。これ、そんな難しい事ですか?と言いたい訳です。

 

追記

 ラブホテルに行かない。酒とか肉は控える。真面目に仕事をする。それを生涯貫く。場合によっては出世する。これ、そんなに難しい事でしょうか?

 

追記

 なぜこういう私の考えとかと逆行する記事が出てくるのか?やはり「マスコミなのに情報収集能力が極めて低く、私とか深見先生の存在を知らない」のでしょうね。

 

追記

 「ドラクエ5天空の花嫁」は1992年の9月27日発売だそうです。スーファミだそうです。

 って事は私が中3の時であり、6も受験の時だった訳です笑。

 ビアンカorフローラで、私はフローラを選んでしまった。

 主人公はエルヘブン民族であり、奥さんがどっちを選んでも天空の勇者の血筋の女性なので、自動的に子供が「伝説の勇者」になって、主人公の父親も主人公も装備出来ない「天空の剣」を装備出来るのです。

 主人公も主人公の親友となるヘンリーも一旦はどちらも王子なのに「奴隷生活」を送らされるらしい。

 ウィキを読まないとストーリーが分からない笑。

 

追記

 詳細は不明だが、主人公の父親パパスは、王様なのだが身分を隠して一般人の振りをして旅を続けていたが、どうしても気品等から「伝説の勇者ではないか?」と思われてしまうらしい。しかし天空の剣を装備出来なかったので、そうではないのを本人は途中から自覚したのだ。

 ヘンリー王子の父親の王様に「あなたは大変素晴らしいのっで」と言われてヘンリーのお守り役を任されていたのだが、実は同じ王様な訳です。

 ストーリーを考えるのも才能ですよね。

 

追記

 ビアンカもフローラもどっちも捨て子なのです。天空の勇者の血筋だけに。

 

追記

 シナリオライターは早稲田の1文だって。まだ生きてるんだって。

 

追記

 高校時代は夜更かしが多くなって、遅刻の常習犯になったんだって。いやあ、俺と結構似てるなあ。というのも3から6とかやりましたからね。私もちょっと間違えたら早稲田の一文だったでしょうね。浪人一年目の最後で「やっぱり明治にしよう」と思ったんです。浮いたお金でシンセを買った訳です。

 

追記

 私も下手すりゃ深夜の3時まで音楽を聴いていたので、でも高校が8時ぐらいからなので、欠席・遅刻・早退だらけで、単位ギリギリだった訳です。止まらない「衝動」であり「熱情」ですよね。そんなだから「もういっそ音楽の道へ進んでしまえ!!!」と思った訳です。

 

追記

 その時はまっていたこの曲は突出していたのだけれど、あのナイルロジャースの方のナイルロジャース?だとは思わなかったのです。

 

追記

 楽譜の解説に「あのナイルロジャースがアレンジしたバージョンです」なんて書いてあったけど、「どのナイルロジャース?あのナイルロジャースじゃないなら誰?」と思っていた訳です。いや、超有名な?方のナイルロジャースはTMなんか相手にしてくれないと思っていた訳です笑。

 

追記

 「こっちのナイルロジャースじゃないナイルロジャースっていたんだ」とその楽譜の解説を見て思っていたんです。

 

追記

 ところがこの前山本彩?さんがインスタに一緒に写った画像を載っけていたんです。知らないって本当に恐ろしいよね爆笑。

 

追記

 マイケルジャクソンより上と言えば上な訳です笑。

 

追記

 多分世界一売れたアルバムのプロデューサーなんですよ。一番大御所なのかも知れない訳です。その人がTMな訳ないみたいに思っていた訳です。

 

追記

 ウィキの主なプロデュース作品のところに唯一日本人でTMが書いてあるんですけど、何回見ても信じられないんです。

 

追記

 デビットボウイのプロデューサーだって。デビットボウイから「プロデュースをやってもらえませんか?」って言われたんかな爆笑。

 

追記 

 デビットボウイはこのデビットボウイで、デビットボウイの最大のヒットアルバムのプロデューサーがナイルロジャースなのです。

 

追記

 音楽だけ聴くと素晴らしいんだけど、映像をつけると「宇都宮大先生とプロのダンサーのダンスがかなり違う」んです。「衣装も」ですけど。

 これは倉木麻衣にも言えるんです。

 

追記

 

追記 

 普段から鏡とビデオカメラでの撮影必須ですよね。私も撮ってみて初めて「あ、ここかっこ悪い」とか気づくんです。

 

追記

 シスって可愛い言葉なのに、ジェダイの中でも悪い方であり、あのダースベイダーもシスみたいです。

 

追記

 パルパティーンってのは師匠から色々教わったのに全て教わったら?ぶち殺してしまったらしいのです。そしてあのダースベイダーを部下にした訳です。

 しっかし人類の頓珍漢振りってのは凄まじいですね。指原莉乃さんも私なんかをイメージして作詞してる風なんだけど「善人か悪人はちょっとまだよく分からない」みたいであり、ほんと頓珍漢振りが凄まじいですよね。 

 統合失調症と10回弱診断されてみたり、精神科医には「お前すけべだろ」と言われたり、警察官には「お前パパ活の常習犯だろ」と言われてみたりした訳です。

 また「進藤博之が早稲田とか明治とか中央って言ってるぜ?頭おかしいんじゃないの?」とも高三の時に言われましたね。

 本当に頓珍漢振りって凄まじいですよね。

 

追記

 ワールドメイトでも支部長にもスタッフにも馬鹿にされているんですよ?笑。

 

追記

 中学の先生にも「親の心子知らずはお前の事だ」みたいに思われていたみたいだし、家族や親戚にも「ひろ君の面倒を私はみないからね」なんて言われているんです笑。

 

追記

 私は「お荷物」と思われているみたいなのだが、お荷物は国会議員と官僚とマスコミとかだろっての笑。医療業界もだろうな超爆笑。

 

追記

 文章読めない、話を理解出来ない、曲の良し悪しを理解出来ない、歌の良し悪しを理解出来ない、ダンスの良し悪しを理解出来ない、人の良し悪しを理解出来ない、ってのは大変恐ろしいですね笑。

 

追記

 例えばですよ?、国会議員、あるいは秋元康プロデューサーのポジション、あるいは全盛期の小室哲哉のポジションになったら随分手のひら返しをされるんでしょうけど、私は「総理大臣になる事も十分ありうる」と自分に対して思っています。

 

追記

 私はそれらは「想定内」ですけど、超能力者以外は「想定外」でしょうね爆笑。

 

追記

 「何、お前、自分が国会議員にでもなれると思ってんの?」

とか

 「何、お前、小室哲哉みたいになれると思ってんの?」

と馬鹿にしてくる人が99.999999999999%でしょうね。そんなものです。

 

追記

 多分私が明大生になるのを予想してたのは、人類で小学校の5・6年の時の担任のみでしょうね。

 

追記

 振り幅がもんのすごいんで、あと一歩で「映画化」だったと思いますよ、私の明大合格は。

 

追記 

 慶應の総合政策って英語と小論だけじゃん笑。しかも高二の夏前からじゃん。俺の場合高三の最初で偏差値30ですから。しかも三教科です。最後の早大模試(高三)で偏差値50です。しかも受験費用でシンセを買った訳です。

 しかもそのシンセで作った曲がブルガリアのチャートに載ったんですから笑。

 

追記

 しかも私は1997年2月22日の受験でそれ成し遂げてますから。

 

追記

 俺の10年後じゃん笑。

 

追記

 まあ三教科だけど、20上がってるんですね。すごいなあ笑。マジで高三の夏休み以外は家で全く勉強してないんだけど。

 流石に現役で早稲田の政経は無理だったな。だって家で勉強してないし、内職も行った日に2授業ぐらいしかしないで、あとは寝ていた?し。

 

追記

 自分でもよく分からないな。高三の最初はマジで三教科で30ぐらいだったんです。それが高三の最後の早大模試で50だったんです。で、浪人1発目のセンター模試で67だったんです。不思議だよなあ・・・・・、我ながら・・・・。あまりにも簡単に偏差値が上がり過ぎている笑。

 

追記

 私の場合マジで全然勉強してないんですよ。

 

追記

 高三の夏休みだけは、この部屋で、絨毯をひっぺがして、机も移動して、結構真面目に勉強したんですけど、それ以外、つまり夏休みの前後は家で全く勉強してないんです。多分受験の頃もです。

 学校に行った日は、休んだ日も多かったけど、内職をしてたんです。それでも午前中限定だし、午前中も2授業ぐらいしか内職してなかったなあ。

 

追記

 春に英語なんて偏差値30ぐらいだったのが、夏休み勉強したから、最後の早大模試で偏差値50までは上がったんです。でも「20しか上がらない」と嘆いていましたね。

 

追記

 30から70に一年あれば楽に到達出来ると思ったがなあ・・・・・・・。

 

追記

 私がここから秋元康、小室哲哉クラスのプロデューサーになると信じてるのは、まあ10代の少女だけでしょう。というのも「挫折を知らないから、魂に傷がないから」です。大学受験に失敗し、入社試験にも失敗してしまうと「そんなん無理無理」と思ってしまう訳です。