与える愛に生きている時は、心も軽く、その心の態度こそ幸せである。

心を変えるのに1円もかからない。


奪う愛に生きている時は、身体も重く、憔悴してしまう。



『愛、無限』より


私の説く「幸福の原理」は四つの原理から構成されています。

まず、「愛の原理」があります。それは「人を愛しなさい。人に愛を与えなさい。与える愛を大切にして生きなさい。それは慈悲の心である」という教えです。

次に、「知の原理」があります。それは「仏法真理をしっかりと学び、その知識を智慧に変えなさい。智慧に変わった知識は、闇夜のなかを歩むあなたの足元を照らす、カンテラの光ともなるであろう」という教えです。

さらには、「反省の原理」があります。それは次のような教えです。「人間として生きている以上、肉体に基づく、さまざまな煩悩によって、間違いを犯すこともあるであろう。しかしながら、自らの思いと行いの間違いは、反省を通して、仏の許しを得られることになっている。自分が犯した間違いは、それを改心し、反省したときには、許されるものなのだ」

仏法真理に則って生きている限りは幸福ですが、それから外れたときには不幸が来ます。しかし、それを「自分の間違いだ」と認め、反省して許されたときには、再び幸福を保障されます。仏は、そのように寛容なのです。

(『愛、無限』第1章「真実の人生とは」)


最後に、「発展の原理」があります。それは次のような教えです。「己の人格の発展、自分自身の向上を目指しなさい。また、それを通して、社会全体の発展・向上、地上ユートピアの建設を目指しなさい。そして、地上を超えた世界、あの世の世界をも、ユートピアへと変化させていくべく、努力をしなさい。あなたが地上に生きているかぎり、毎日毎日、この地上を何かしら前進させるべきであると考えなさい。毎日毎日、善が一つひとつ積み重なっていくようにしなさい。少しでも仏の理想が実現される方向で、あなたの生命をつかいなさい。


「正しき心の探究」という全体目標と、「幸福の原理」という個別目標(「愛」「知」「反省」「発展」という四大原理からなる四正道)を守るかぎり、人間は幸福な道を歩むことができます。このことが保証されているのです。この道を踏み外したときには不幸が来るでしょう。それは、この世のみならず、来世の不幸をも呼び込むことになるでしょう。このような掟があるのです。しかし、「すべては、自らの意志によって真理から外れていったことが原因である」ということを知らなければなりません。もちろん、宗教によって真理の表現形態はさまざまでしょうが、現在、幸福の科学において説かれている教えは、そのように要約することが可能なのです。

(『愛、無限』第1章「真実の人生とは」)