こんばんは~
細胞レベルで変化する♡ヒーリングエステをしております宮保 のり子です。
世界観ぶろぐでは、今の“エステ”というお仕事には到底つながらないであろう小さい頃の私のドブスちゃん加減(全てにおいて)から書いてます。
世界観ぶろぐ 第1章まとめ(始まり~15) 言葉の威力…「私は居なくてもいい子」が根付いた幼少期
― 世界観ぶろぐ・第4章 ―
その 37
~ 子供を実家に預けて仕事復帰… 母の本音が漏れだし始める ~
初めての出産、そして子育て。
見たい聞いたりしながら私なりに必死でやっていました。
子育てを楽しむ… なんてその頃味わった?と残念ながら今思う(-.-)
子供はかわいい♡
超 ――― 可愛い♡
と思うときもあれば
早く寝てくれ… 何で泣くん?
あぁ~わからん!こっちが泣きたいわ!って時も…
そして相変わらず旦那の帰りは遅いのが当たり前(;_:)
「ほどほどに手を抜く」ということが当時の私にはできず、そして自分でやらないと気がすまない部分も多く…
結局は余裕がなくなり、いっぱいいっぱいになっていました。
そうこうしているうちに仕事復帰。
経済的にキビシイ状態でもなかったので仕事は辞めようとも思いましたが、ありがたいことに随分と引き留められ、結局仕事は続けることに。
義両親は能登で仕事をしていたので、実家の母が子供をみてくれることになりました。
母は長年、九谷焼の絵付けをしていました。
近所(斜め向かいという近さ^^)に勤めてので、道具を家に持って来て、子供をみながら仕事を続けることが可能でした。
その時は快く引き受けてくれた母。
そして一番喜んだのは、男の子をもてなかった父でした。
もともと子供好きな父は、毎日毎日… 仕事から帰って孫の顔を見るのが楽しみだったそうです。
今思えばよくやってたな~と思う生活。
毎朝7時に家を出る
↓
子供を実家に預け会社へ
↓
昼休憩に育児時間をプラスして実家におっぱいをあげに帰ってまた会社に戻る
↓
夕方仕事が終わり実家にお迎え
(たまには夕飯もご馳走になり♡)
↓
アパートに戻る
… そんな生活を何か月か続けていました。
22キロも太り、子供の分しか減らなかった産後の体重も次第に戻り、悲しいかな急激な太り方で裂けた妊娠線だけが…
驚くほどにたくさん残っていた(T^T)
肉体的にはハードな生活でしたが、自分の親にみてもらっていたことは精神的にはラクでした。
が…
世の中そんなにうまくはいかない(笑)
子供がハイハイし出した頃…
さすがに母の仕事にも影響が出だす。
(これはわかっていたことでしたが…)
「この子は可愛くて仕方ないけど… ばぁちゃん仕事できんと生活もあるしな~」
「何とかみてやりたいけど、動き出すとやっぱりな~」
「だいたい、外孫なんに… あんたのとこのばぁちゃんがみるべきなんじゃないん?!」← 本音が出た(-.-)
その後、母からは「あんたのとこの孫」が…
よく聞かれるようになるのでした…(-.-)
その38に続く。
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