臼井レイキの創始者である臼井甕男博士は、慶応元年8月15日、岐阜県山県郡の谷合村に生まれ、幼少の頃から勉学に励まれ、青年時代には欧米や中国などに渡航されたり、職業も公務員、実業家、新聞記者、政治秘書、などを転々とされ、宗教の布教士や、刑務所の受刑者を教導する教戒師なども経験されている多彩な才能を持った人物。

様々な経験通じて学びを進められて行く内に、いつしか「人生の目的とは何か」という大命題を探究されるようになりました。

いろいろと研鑽を重ねられた結果、「人生の最大の目的は、安心立命を得ることにある」という結論に到達されました。安心立命とは、心の平安のこと。そこで臼井博士は禅の道に入り、真の悟りを求めて約三年間、修行に入られました。

大正十一年の春、死をも覚悟し、京都の郊外にある鞍馬山でこもって断食・瞑想に入り、21日目の真夜中頃、臼井博士は、脳の中心部に落雷を受けたかのような激烈な衝撃を感じ、そのまま気を失いました。

それから何時間経過したかわからず、ふと気がつくと夜が明け始めた頃、臼井博士は今までに感じたことのない心身爽快な気分に満ちて目覚められたそうです。

そして瞑想中、脳の中心部に衝撃を感じた時、宇宙の霊気との一体感を達成され、求めていた悟りの境地を完成し、今に伝わる『靈氣』を授かりました。その一ヶ月後、57歳の頃に東京の原宿に臼井療法学会の本部を構えることになりました。

大正十二年の関東大震災では、連日、臼井博士は門下生と共に市中にを巡回し、溢れかえる負傷者に靈氣で治療にあたりました。これを機に、靈氣療法の効果が広く認識され、入門生が増加し、多くの海軍関係者も入門し、臼井博士から伝授を受けた弟子の数は、二千人を超えたと記録されています。

後に林忠次郎軍医から、ハワイの日系人高田ハワヨ女史へ受け継がれ、臼井レイキは西洋で一気に広がり、今では逆輸入される形でまた日本で広がりを見せ、わずか十数年で五百万人を超える人々が靈氣の伝授を受けて、活用するようになり、今もその数は増え続けています。

その後、アメリカ、カナダ、イギリス、オーストラリア、ドイツ、シンガポール、インド、台湾などにも臼井靈氣は広がっています。

それぞれのエピソードは、沢山の書籍にも記されており、東京の杉並区にある新高円寺駅から近くの西方寺に、臼井博士のお墓とお弟子さん達が偲んで建てられた功徳の石碑にも、靈氣のことや、臼井博士が生前に残された言葉などが刻まれています。

1975年5月17日付のthe Times誌には、高田ハワヨ女史のインタビュー記事や、靈氣の歴史なども掲載されています。

 

 

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