祈り方と神の存在 | 龍のごとく

龍のごとく

ひなた耀一 オフィシャルブログ

 

***** ***** *****

 

 

新年明けましておめでとうございます門松

本年もよろしくお願いいたします<(_ _)>

 

皆さまにとって良き年となりますように。

 

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

 

元旦は晴れて

鳥居から初日の出も鮮やかに現れて

縁起の良い年になりそうな予感うさぎクッキー

 

皆さまはいかがでしたでしょうか。

 

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

 

初詣に限らず週末はいつも車を走らせて

郊外の神社へ参拝してその後境内でぼーっとして

エネルギーチャージしてるひなたっちであります照れ

 

 

神社仏閣へ行ってたまにお見かけする

お賽銭箱の真ん前で長時間お祈りしている人…

 

ぶっちゃけ…

 

後ろにいっぱい並んでんのに

じゃまじゃね?

さっさと終われよ

 

なんて思ったりしてましたが

昨日、ある神社へお参りに行ったとき

前述のような参拝者がいて背中を観てて

ふと直感的に感じたものがあったのですよ。

 

神の定義は何ぞや?というのはちょっと置いといて

 

この人神様なんか信じてない!

 

ってねびっくり

 

 

そう…

長時間祈ってるのは信心深さから来るのではなく

信じてない心の裏返し。

 

全てを伝えなければ届かない

それをしなければならない

 

という強烈な思い込み。

 

神職の方が何かを執り行うとき

色んな手順を踏んで儀式的なことをするのであれば

また話しが変わって来ますが

一般的な我々が普通に参拝するのであれば

二礼ニ拍手一礼で心の中で少し唱えれば十分です。

 

本当の次元の高い神様は

長時間の祈りなど求めておりませんよ、きっと。

 

 

神様なんだから参拝に来る前から

その人のこと知ってるし観てますわ

 

もし時間と引き換えに要求してくるようせあれば

それは神様ではなく次元の低い何かでしょう真顔

 

 

大事なことは祈りの時間よりも普段の行い

どう思ってどう過ごしているか

 

それをしてこそ

祈りの効果があろうというもの。

 

そこに時間が長い短いの概念は

あちらさんには存在しません。

 

それに二礼ニ拍手一礼という概念も人が作ったもので

神様が「こうしろ」といったわけではないですし。

 

究極のところ

合掌して心で祈れば十二分に

通じていると思います。

 

本当に本当に信じていればね。

 

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

 

神様を信じる信じないというのは思考ではなく心の問題。

 

もう一歩踏み込んで言えば

 

潜在意識が信じているかいないか

そこが問題になって来る

 

いくら言葉で「信じてますビックリマーク」って言っても

潜在意識で信じてない人いっぱい観て来ましたよ。

 

キネシオロジーとったら一発でわかるしねニヤリ

 

逆に神様のことを表面的には意識してなくても

「この人は信じてるよね」という人もいます。

 

無意識にそういう言動が節々に出てるのですよ。

 

日常の所作、言動、

全てにおいて現れます。

 

 

 

神様を信じるか信じないか

それは日常の生活をどう思いどう過ごすか

それが全てにおいて関わって来ると思います。

 

 

神社行っただけでは魂も磨かれないし

祝詞を上げたからといって霊格もあがりませ

リトリートツアーなんて行ってもムダです

 

 

日々の生活の精進が全て

 

 

ひなた耀一 拝

 

***** ***** *****

 

■ 自己紹介/お客様の声

 

■ セッションメニュー/お申し込み/アクセス

 

■ メッセージ

 

■ Facebook/Instagram