今日は会社の人に誘われて、フットサルをやりに調布まで。

http://www.futsal-stage.com/chofu/index.html

サッカーボールを蹴るなんて、約20年ぶり。

昔子供の時はちょうどキャプテン翼が少年ジャンプで連載になって、すぐにサッカークラブに入って右ウィングをやってたなーーーっと遠い思い出。

小学校5年の時に交通事故にあってクラブも辞めて、中学校からは授業でサッカーをやるぐらいになってたけど、東京に出てきてからはまったく球技とかやらなくなった。

積極的に人と関係を持つのが苦手、いや、東京に出てきてすぐに地方者の洗礼というべきか。
痛烈な仕返し(自分からやった訳ではないので、本当は仕返しでは無いのだけど)を受けて、人と関わるのが怖かったんだと思う。

それから早約20年が過ぎて、ようやくそういうトラウマも軽減されたのか参加してみた。

もともと運動は好きで、マラソンだったりはよくやってた。サッカーもどうせフットサルだから、多少動けば大丈夫だろうと思ったら、、、、


周りを見る余裕なんぞありゃしないww。


5分ぐらいしか経っていないのに、30分ぐらい動いているだろうと思う感覚。
気持ちでは「あぁ、追いかけてボールをうばって!」と思うけど、気持ちだけで全然身体は走れない。

「これ以上頑張ったら、絶対足つるーーーーーーーーーーーーーー」


20年の月日を痛烈に感じました。

やっぱり運動しないといけないね。

案の定、夜は、足上がらないし、股関節痛い。


明日に筋肉痛がくればまだ若い。これが月曜とか火曜になって激痛とか痛みが取れないとなると、、、




おやじ決定です。
トラブリューではないけど、今日の帰り道で思った事が


「なんでもないような事が、幸せと思う」
歌では幸せだったと過去形にはなっているけど。

当たり前のように仕事をして、当たり前のように仲間と昼飯を食べて、当たり前のように会社を出て、当たり前のように家に帰る。

当たり前がずっと続くと、「あれ、このままでいいのか?」と不安になったりして、変化を無理に追い求めていたりしたけど、なんでもないような事って、本当に幸せなんだなって思う。


どんなに辛くても悲しくても、生きているって事は自分の中では安全だという事。特に日本ではそうだと思う。

義兄のように近くで戦争が実際に起きている国で仕事をしている場合だと、もっと当たり前の凄さとか素晴らしさが痛感されると思うのだけど、とにかく景気がどう言ってても、日本はまだまだ安全な国。


その国に居る事がぬるいのではなく、何でもないような事で毎日過ごせているって事は幸せだ。


何でもない事は日常にあふれるほど起きている。

その事を感謝し、毎日取り組んでいこう。


帰り道でそう思った。

この気持ちを大事にしていきたい。
昨日ちょうど大臣の話を書いたが、死刑執行されていた。

ただ、選挙に負けてから判を押している。


【視点】人の死に「政治的演出」 千葉法相の死刑執行命令

時間をかけて検討したとマスコミには言っているが、どう考えても策略としか思えない。

命の重みを考えてこれからも執行するのか、結局は議論議論と言って何もしないだけなのか?

刑の判断の際に、殺害した人数によって、刑期が変わっている。死刑になるか無期懲役になるか。


人数で考える事は妥当なのか?その点も議論して欲しいものだ。