カミュ 「異邦人」

この本はほかの本とは少し異質な感じがした。話は母が死んだ翌日に海に行き、女の子と遊ぶ主人公。その後、友人のいざこざに巻き込まれて殺人を犯してしまう。自分は蚊帳の外で淡々と行われる自分の裁判で、動機は「太陽のせいだ」と語る。こんな感じで主人公は常識とは少しかけ離れた人間だと分かる。母親の死でさえあまり心が動かず、殺人を犯したことも偶然で仕方のないことのように言っている。この本は一連の内容を淡々と書いている。カフカの「変身」もそんな感じだった。だがカフカと決定的に違うところがある。それはカフカは暗い印象を与えたが、カミュは逆に明るい印象を与えられた。主人公の何にも臆さず、それでいながら事なかれ主義のような性格のためか。はたまたところどころに太陽や暑い、海といった夏に関する描写が多々あるからなのか。そして主人公の終盤での告白。「私は自分の人生に強い自信を持っている。母の愛、他人の死に何の意味がある。神や宿命に何の価値がある。人は誰でもいつかは死ぬのだ。」とこんな感じで言っている。普通の人とは違った感性を語ることで人間には色々な生き方があるのではないかと提示しているのかもしれない。難しい。いつかまた読み直そう。

 

 

カフカ 「変身」

「ある朝、グレゴール・ザムザがなにか気がかりな夢から目を覚ますと、自分が寝床の中で一匹の巨大な虫に変わっているのを発見した。」と始まるこの本はとても有名だ。突然虫になってしまった主人公とその周りの人がどのような対応をするのかを淡々と書かれている。自分ひとりに襲い掛かる不条理をうまく描いていて面白かった。個人へ不条理が降りかかったとしても周りの人はさほど興味もなく、ただ各々の生活をしていくだけだ。結局人は他人にさほど興味はないのだ。よく人の苦しみ・辛さを想像しろとか受け止めろだの寄り添えだの言っているが実際その人にしかわからない。だからそこまで他人を慈しむ必要なんてないのだ。愛の反対は憎悪ではなく無関心という言葉は有名だ。愛と同じで憎悪の反対も無関心だと言える。自分を、相手を傷つけない最善の手段は無関心でいることだ。

だいぶ前に読んだから感想が適当になってしまったが許してほしい。

 

 

アガサ・クリスティ 「そして誰もいなくなった」

この本は今まで読んできたミステリーの中でも群を抜いて面白かった。やっぱりアガサクリスティは天才だ。現代のミステリー作家にはとうてい書けないような圧倒的興奮を味わえる。話は10人のそれぞれ全く違う人たちが孤島に集められ、過去に自らが犯した罪を告白され、断罪のために一人、また一人と殺されていき誰もいなくなる。というワクワクさせられる話だ。まず登場人物から見ていこう。10人とも違った個性があり職業があり、それぞれの犯した罪がある。一人ひとりが明確に分類されておりイメージしやすかった。それに物語が進むにつれて皆疑心暗鬼になりそれぞれがそれぞれを疑う描写もおもしろい。次に伏線だ。この孤島にはわざと10人の兵隊という童謡が置いてあり、それになぞらえて殺人が行われていく。できるだけ童謡に忠実な殺され方を書いており次は誰が死ぬのだろうと気になる演出が施されている。それに犯人は通常あまり目立たなくするのが僕のイメージだったが、犯人は最初から仕切り屋で目立ちたがりな性格で動機も自分の正義を誇示したいというなんとも正反対な人物だった。そのため絶対こいつ殺されるだろと思っていた奴が犯人だったのでとても驚いた。オリエント急行もそうだが予測できない結末を持ってくるのはさすがとしか言いようがない。すげぇよアガサクリスティは。

 

 

ゲーテ 「若きウェルテルの悩み」

この本はとても有名で、ウェルテル効果なる言葉があったりもする。実際当時この本を読んだ人たちが恋の絶望に駆られ自殺が多発したという逸話があるくらいだ。話は、青年ウェルテルが既婚女性のロッテに猛烈に恋をしてしまい、かなわぬ恋や理不尽な社会などを嘆いて最後は自殺をしてしまうというものだ。最初あらすじを見たときはそんな大げさなと思っていた。だが読み進めてみると、ウェルテルという一人の男の様々な苦悩、自身の考えを手紙形式で的確に描写されていた。それゆえああ自分もこんなことを考えたことがあるなあとか確かにそうだなあと共感する節が多く、言い回しは古くても楽しく読み進めることができた。世の片思いをしたことのある男性ならば、この世に不満を抱いている若者ならばきっと共感することだろう。ぜひ読んでほしい。印象的なところはウェルテルが自殺について言論している場面だ。「どうして君たちは愚かだの賢明だの、善いだの悪いだの言わずにはいられないのだろう。前もってある行為の内面的ないきさつを調べてみたうえでの話なのかい。ある行為がなぜ起こったか、なぜ起こらなければならなかったのか、その原因をはっきり説明して見せることができるのかい。もし君がそういうことをやったら、なかなかもってそうあっさりと判断は下せまいと思うだがね。」と言っている。世の中にはうわべだけ見て、噂だけ聞いて、自分の価値観でしか語ることのできない人が大勢いる。何も知らないくせに何も考えていないくせに他人をどうこう言う奴は本当に腹が立つ。価値観の押し付けなんて、善意の押し付けなんてそれは悪意と何ら変わらない。むしろ悪意よりたちが悪いまである。だから僕は人間があまり好きではないんだ。

 

 

森見登美彦 「四畳半神話体系」

この本は、物語はさほど突出してはいない。魅力は台詞回しと詭弁にある。話は、大学三年生の主人公が今までの生活を悔いて、きっと違うサークルを選んだらバラ色のキャンパスライフが出来たろうにと嘆く。そこで四つのサークルに入った場合をパラレルワールドとして描いていくものだ。はっきり言ってパラレルワールド、タイムリープものは散々使い古されているから物語の先やオチは見えていた。それでも面白いのは、前述した二つの魅力があるからだ。台詞回しについては、古典的というか、文学的というかとにかく読書好きなら憧れるような言葉ばかりが使われている。と思いきや主人公が吐く言葉は俗物的というか、ちょっとひねくれているというかそんな感じだ。そこに主人公の詭弁が加わり笑える作品になっている。それから物語の舞台は京都のぼろや四畳半であるが、風景や四畳半の絶妙な独り暮らしの部屋って感じでうまく描写されており京都へ行きたいと思わせるものでもあった。物語を褒めるとするならば、この四つのパラレルワールドを行き来しても結局何ら変わりはしなかったその不可能性を描いているという点だ。作中でも「我々という存在を規定するのは、我々が持つ可能性ではなく不可能性なのだ。」と言っている。人生は選択の連続だ。どんな選択をしたって今あるこの状況、自分が最善の道だったと思えるようになることがバラ色のキャンパスライフを開く鍵だったのかもしれない。面白かったのでこの作者のほかの本も読んでみたい。

ジョナサンスウィフト 「ガリバー旅行記」

この作品は児童文学としてとても有名で大抵の人は子供の頃に読んだことがあるかもしれない。しかし原文は真逆でむしろ大人向けの強烈な社会風刺・皮肉のきいた本である。そのためめちゃくちゃ面白かった。話は、ガリバーが様々な島に渡航しその国々の特徴を記したものだ。小人の国リリパット、巨人の国ブロブディンナグ、空飛ぶ島ラピュタとその支配下の国々、馬が統治するフウイヌムと奇想天外な国々を描いている。絵本で有名な小人の国リリパットでは国王がこんなことを言っている。「親子関係について、人間の結びつきは雄雌の動物と何ら変わりがなく、肉欲に動かされた結果に過ぎない。だから子供が親に義理を感じる必要はないのだ。悲嘆に満ちた人間の一生を思えば、この世に生まれてくることには何のありがたみもないし、親は色恋にうつつを抜かしていただけなのだ。」この言葉はとても子供に向けるようなものではない。大人向けだし、僕が思っていることをそのまま言っていてついつい笑ってしまった。このような感じですごく皮肉たっぷりな描写が多々ある。ラピュタの支配国バルニバービでは政党争いが激化しており、これに対し医者はこんなことを言い出す。「両党から頭の大きさが同じな人を選出し、脳を半分に切断して片方ずつを再びつなぎ合わせる手術をしよう。これが成功すれば、節度のある中庸を踏み外さない思考ができるようになる。この世界監視し支配するために生まれてきたとうぬぼれている連中には実に効果的な手段である。」これはいつの時代も腐っている政治家に向けた言葉である。くだらない政党争いで金も時間も労力も費やしているゴミどもに聞かせてあげたい。そして最後の島フウイヌムでは人間と家畜が逆の立場となっており、いかに人間が欲深く愚かな生物かを説いている。全篇を通して社会風刺・皮肉を描いているこの本は紛れもなく語り継がれるべき名著である。スウィフトは皮肉の天才だ。

 

オルダス・ハクスリー 「すばらしい新世界」

この作品は、ベンサムの功利主義の成れの果てのようなものだった。話は、人が生まれ成長するまでを徹底的に管理し、社会全体の精密で優秀な歯車を作り出そうというディストピアだ。心理学で学んだ条件付けが出てきて、幼児にあらゆる条件付けをすることで一切の逸脱を許さない完ぺきな人間を大量生産することに成功している。その中で個性を持った個体がどのような行動、結末を見出すのかを描いている。この本で主となるのは最大多数の最大幸福である。不幸の要因となるものを全て排除し、個人と他人との快楽を追求し社会全体の幸福を築くというものだ。この考え方は一見社会の目指す終着点にも思える。しかしそんなのはまやかしの幸福だ。僕の考える幸福とは、自分自身で考え、判断、行動することだと思っている。その中で幸福や不幸を経験していくのが人生だ。この世界では社会への疑念こそ悪だと言い、自分の意思を社会に委ね、ただ一歯車としてしか生きていない。そんなのは幸福不幸の区別など無く、ただ停滞しているだけだ。この世界が良いという人もいるだろう。安定をとるか変化をとるか、僕は後者を選びたい。

 

ジョージオーウェル 「動物農場」

この作品は、ロシア革命とレーニン、スターリンの圧政を動物に置き換えて忠実に描いたものだ。ロシア革命とかスターリンとかは中学高校で学習したが忘れていたのであとがきで解説してあり助かった。レーニン、スターリンを豚に見立てて国民たちをその他の動物に見立てている。豚たちはその他の動物たちに過酷な労働を強いるようになり、勝手に情報統制、法改正を行い、自分たちに都合の良い農場に変えていく。終盤の「すべての動物は平等である。だが一部の動物はもっと平等である。」という風に独裁を表している言葉は印象的だ。この本で問題とされているのは、もちろん独裁を行う豚たちだが、もう一方その他の動物たちにも着目したい。独裁が行われている状態でも、その他の動物たちはほとんど疑わず、抗わず、ただ従うだけだった。自分たちで考え行動しない堕落した動物たちは愚かだと思った。これは現代の日本でもいえることだ。政治家たちは腐っているが、それを選んで放置している僕たち国民も堕落していると言えるだろう。

 

L・M・オルコット 「若草物語」

この本はとても有名で女の子なら一度は読んだことがあるかもしれない。四姉妹のそれぞれの生き方、成長を描いている。なぜこの本を読もうと思ったかというと、先日「ストーリーオブマイライフ」という若草物語の映画が公開され見に行ったからだ。四姉妹がいきいきと描かれていて、時系列もわかりやすくとても面白かった。だから原作を読もうと思い読んでみたが、正直微妙で映画の方がよくまとまっていると思った。原作では四姉妹の遊びや事件、個性などが詳しく描写されている。がさすがに途中から退屈になってくる。映画の方を先に見てしまったのもあるのかもしれないが、あんまり面白いとは思わなかった。女の子ならまた違った感性で違った感想が出てくるのかもしれない。

伊藤計劃 「虐殺器官」

この作者の本はSFの中でも読みやすいと思った。話は、世界中で虐殺が多発してしまっている世界で、一人の男が虐殺を引き起こしていると読んだ主人公たちは、その男を捕まえるべく追っていくというものだ。まず驚かされるのが生々しい戦闘描写だ。体の細かな動き、その場の匂いなど臨場感ある描写をしている。そして特殊部隊やテロ、世界の情勢の緻密な世界観設定。伊藤計劃の神髄はこの世界観にあると思う。続編の「ハーモニー」でも緻密な世界観は組まれており、没入感がある。この本では先進国であるアメリカは裕福な一方で、その他の国では虐殺が多発していたり、アメリカの軍事産業の糧にされていたりと格差が激しい。ここから作中では「幸福はだれかの不幸の上に成り立っている」といっている。だったら、ぬくぬくと暮らして見たいものしか見ない堕落したアメリカにも虐殺を撒いてしまおうというのが主人公の判断だった。実際現実でも先進国と発展途上国では明確な格差がある。日本はどれほど恵まれて安全な国か再認識させられる。僕たちの生活は誰かの不幸によって成り立っているのにそれを享受してもなお幸福を求めたり、不幸だと嘆いたりするのはいささか失礼に値すると感じた。人間は欲深い生き物だ。でも武力を限りなく放棄し身勝手な正義感を捨て、戦争を二度と引き起こすまいとしたことは英断だと思う。

 

 

伊藤計劃「ハーモニー」

この作品は、SFの中でもめちゃくちゃ面白かった。話は、医療が目まぐるしく進歩して人々の健康状態は政府から、人々同士から常に監視され病気を管理、対処する社会システムが構築された。ついに病気で死ぬことは無くなり、まさしくユートピアが創られた。という世界観である。すべてを殺菌され、互いへの思いやりを義務とする世界は幸せだと言えるのだろうか。ラッセルの幸福論に「退屈の反対は快楽ではなく興奮だ」という言葉がある。このハーモニーの世界には興奮なんかない。退屈そのものだ。争いも体に害をなす嗜好も許さない世界はとてもつまらないだろう。この世界の人々は政府にお互いに飼いならされている家畜のような存在だと思った。行き過ぎた医療は人間を違った意味で殺す。これは現在の医療にも言えることだ。高齢化が進み病院では患者であふれている。胃ろう、人工呼吸器、点滴、あらゆる介助などから生かされている寝たきりのような高齢者たちは果たして幸福なのだろうか。自分の意思での行動もままならない状況は生きているとは言わない。ただ病院側に食い物にされて、生かされて、飼いならされているだけだ。そんなのあまりにも残酷だ。だからこそ僕は「尊厳死」が重要だと思っている。人が人らしく生きることが大切と同じように、人らしく死ぬことも大切だ。そのためにも法整備を進めなければいけない。先日ALSの患者が医者に死を望み、それに答えたために逮捕されてしまったということが起きた。このような問題はたびたび起こっている。医者にも患者にも現在の法律は優しくない。高齢化の進行は予測出来ていて嘆いているくせに何も変えようとしない政治家はやはり腐っている。そしてよく先輩医療人たちは人類の幸福だなんだと言っているが、行き過ぎた医療は幸福をもたらすわけではないことを認識すべきだ。僕は将来医療人として「尊厳死」「安楽死」を主張し、考え、議論していこうと思う。

 

 

伊藤計劃✖円城塔 「屍者の帝国」

この作品は、生前の伊藤計劃が立案及びプロローグを書き、亡くなった後に円城塔が続きを書き上げたという異例の作品だ。確かに読んでみると題材は伊藤計劃らしさが文体や全体の雰囲気、読みやすさなどはまるで違い、円城塔らしさが出ていた。従来の伊藤計劃の本よりも難しかった。話の内容は、世界各国は死体を復活させ意のままに操る屍者を生み出す技術を手に入れた。その伝道者である人物、最初の屍者である人物を追い求めて世界各国を旅する物語だ。この作品では数多くの著名な物語や人物などが登場してくる。死者復活はキリストやフランケンシュタインをもとにしており、登場人物の名前もドストエフスキーのカラマーゾフ兄弟やその他著者から引っ張ってきている。知っている人物の名前が出てきたときはちょっと嬉しい。それはさておき、この本は難しかったが人の魂や意思やらハーモニーと少し似ているなと思った。人が人らしく生きる要素として自由意志が最も重要であると考えている僕は、まさにこの本でもそれを書いており面白かった。フィリップ・K・ディックもこんなこと書いていたなと思いだす。人と屍者・アンドロイドを対比し人のあり方を説く。このような題材は毎回考えさせられるから面白い。人が人らしく生きる云々はハーモニーで語ったので省略しよう。印象に残っている言葉は、「物語はわたしたちの愚かさから生まれ、痴愚を肯定し続ける」だ。ジョージオーウェルは当時(過去)のそして現在の独裁政治を描いた。伊藤計劃は未来の医療発達の行く末を描いた。フィリップ・K・ディックはアンドロイドが登場した未来の行く末を描いた。SF作者及び物語は僕たちの欲望から生まれ、その愚かさを説く。そういった意味でこの言葉はとても印象に残った。伊藤計劃が亡くなった後も執筆し完成させた円城塔にはありがとうございますと伝えたい。

 

 

伊藤計劃 「The Indifference Engine」

これは、伊藤計劃の短編集だ。表題にあるThe Indifference Engineの話は、戦争を行い、銃で人を殺し、民族差別を行ってきたかつての少年兵が戦争が終わったという事実がありながら戦争の時の民族差別やトラウマがいまだ残り続け苦しんでいるというものだ。少年兵の話はあまり小説でも語られることは少なく、ゆえにこの短編は心に残った。幼いころから多民族を恨むよう、殺すことを教えられ続けていたその子は戦争が人生のすべてだった。それなのにいきなり戦争の終わりを告げられ、今日からは民族差別などせずに仲良く暮らしましょうと言われるのは甚だ理不尽ではないか。戦争を指揮した大人はそれで満足かもしれないが、戦った兵士たちは納得できないだろう。今日日本では戦争は無くなり悪しきものとして二度と同じ過ちを繰り返さぬようとしている。だが他の国はどうか。内戦、紛争が未だ起きている、そのために子供が兵士に駆り出されている国だってある。僕たちができることは小さいが、自国だけでなく内戦のさなかにある国にも目を向け知ること、考えることも大切なのでないか。争いは人間である限り、欲望が消えない限り無くなりはしないと僕は思っている。それでも規模を小さく、小競り合い程度にすることはできるとも思っている。僕はそんな世界になることを願う。

 

 

伊藤計劃 「MGS ガンズオブザパトリオット」

伊藤計劃の本は全部読もうと思って読んだわけだが、実はメタルギアシリーズ(MGS)はやったことがない。スネークなんかスマブラで出てくるくらいしか知らない。そのため、今までのストーリーとかキャラの背景とか前知識なしで読んだことになる。正直何のことかわからないことも出てきたが、この本自体の物語や作者が描きたかったことは読み取ることができたかなと思う。話は、軍事力がAIによって支配されていて、それを乗っ取ろうとするリキッドスネークを阻止するべくソリッドスネークが追っていくというものだ。いきなりリキッドやらソリッドやらがでてきてなんのこっちゃと思うが、こいつらは、なんとクローン人間なのだ。ビッグボスというめちゃくちゃ強い大元の人間がいて、こいつが老いて死んでも能力を軍事利用するためにクローンを計3体作ったらしい。うーんややこしい。だからある意味双子・兄弟ともいえる二人が対峙するのはなんとも奇妙な構図だ。この本で印象的なのは、戦闘描写にある。虐殺器官の時もそうだったが、銃撃戦、肉弾戦、カーチェイスなど様々な戦闘が繰り広げられる。そのどれも臨場感があり容易に想像できるくらいに描写されていた。さらにスネークとその相棒オタコンの心理描写も上手くて物語にどっぷり入り込めた。そして最後の「人間が生きているのは、どんな形であれほかの人間に記憶してもらうためだ。」と「毎日の食卓にも誰かの物語が生きている。この世界はそんなささやかな物語の集合体なんだ」という言葉がある。死や老いは誰にでも訪れる。けれども誰かの、他者の記憶に残っていれば、その誰かによって語り継がれれば、それは生きたという証拠になる。そうやって世界はみんなの記憶で紡がれている。伊藤計劃は物語を書くことによって他社の記憶に残り、こうやって死後も語り継がれている。ぼくも誰かの記憶に残るような、そんな生きたという証を残すべく一生懸命に生きたい。

 

 

伊藤計劃 「伊藤計劃記録ⅠⅡ」

この本は伊藤計劃のブログやインタビューをほとんどそのまま移植したものだ。内容はほとんどが映画評論でしかも昔の映画ばっかりだったからなんやこれと思った。でも、その中に伊伊藤計劃自身の考えや、闘病生活、作家としての思いが綴られており、伊藤計劃その人を知ることができた。中でも印象に残ったのは、「これがわたし。わたしというフィクション。私はあなたの体に宿りたい。あなたの口によってさらに他者に語り継がれたい。」という言葉がある。自分の死が近づいている中で、どうやったら他者に残るだろう、生きた証を残せるだろうと苦悩し、物語を書くに至ったのではないかと思った。厳しい闘病生活の中で見出した物語。それらを僕は読めて良かったと思う。

 

最後に

これで伊藤計劃の本は全て読んだ。どれもとても面白く考えさせられる作品だった。願わくばもっとこの人の本を読みたかった。

僕たちにこんな面白い物語を書いてくれてありがとうございました。