30代も半ばに差しかかった頃から、私はほとんど音楽を聴かなくなった。思い返すと、それは前の事務所を離れたあたりと重なっている。

それまでは、
音楽は生活の中に当たり前のようにあった。

寝る前にも、外を歩く時にも。
そこにあることが自然で、
息をするのと同じくらいに。

今も完全にゼロというわけではない。
シャワーを浴びる時、ふと思い出したように流すことがあるけれど、それだけだ。

新しいアーティストを探すことも、今の音楽シーンを追いかけることも、もうない。
惹かれるものが少なくなった、というのも正直なところだろう。

それに街でヘッドフォンをつけるのは、
どうにも落ち着かない。イヤホンも、昔から耳に合わないものばかりで、二十代のうちに諦めてしまった。

外に出れば、街には街の音がある。

冬の朝の澄んだ空を渡る風。
吐く息は白く、
街路樹の枝葉がかすかな音を立て、
足元の落ち葉は、
擦れるように乾いて鳴る。

遠くを走る電車の音も、
甲高く耳を劈く少年たちの声も、
確かにそこにある。

不思議なことに、久しぶりに音楽を聴くと、胸の奥が少しだけ動く。

4〜5年ぶりに好きだった曲を流すと、
懐かしさよりも先に、「こんなに鮮やかだったのか」と驚きが来る。

時間が静かに、
音楽を温めてくれたような気さえする。
だから私は、あえて触れずにいる曲もある。
毎日触れれば、きっとすり減ってしまう。

音楽をしまっておく、という感覚。
それは手放すこととは、少し違う。

バンドをやっていた頃、
音楽は確かに居場所だった。
同時に、逃げ場のない戦場でもあった。
それでも、あの場所でしか呼吸ができなかった時期が、確かにあった。

音楽がなければ、自分がどこに存在していいのかすら分からなかった。

今はもう違う。そもそも音楽は「やる」か「やらない」かで測れるものではないだろう。

曲を聴いても、聴かなくても。
楽器を手に取っても、取らなくても。

音楽は、ずっと自分の中に在り続けている。

焦りも、不安も、もうそこにはない。
ただ、静かにそばにある。
それで十分だと思えるようになった。

音楽を聴かなくなったのではない。
音楽と深い場所で繋がっている。

それが、現在の私にとっての音楽なんだろう。





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去年、中学の同級生が亡くなったと聞いた。

哀しみは正直言ってそれほどなかった、友達ではなかったからだろう。

ただ、驚きはあった。
同じ年に生まれ、同じ時代を生きてきた人間が、もうこの世のどこにもいないという事実は、他人事にはできなかった。

彼はバンドをやっていた。
音楽をやっていた、という点では、
ほんのわずか、親近感のようなものはあった。

でも、それ以上でも、それ以下でもない。

冷たく思われるだろうか?

しかし事実、近しい人の死と、
そうでない人の死は、同じ場所には置けない。

31歳の頃には、
親しかった後輩が、若くして亡くなった。

あの時、嫌というほど、
死について考えられるだけのことは考えた。

答えらしきものにも、
ある程度辿り着けた氣もしている。

だからなのだと思う。

それほど近くなかった人の死は、
氣を落とすというより、
静かに、残る。

悔いのないように生きたい…とは思う。
もっとも、
その言葉を初めて口にする年齢でもない。

2年ほど前、高校の同級生が35歳で、
自ら命を絶っていたことを、人づてに聞いた。

卒業して別れて以来、一度も会っていない。
それが本当に友達だったのかと問われると、
少し、言葉に迷う。

二十歳の頃、
そいつと友達との3人で酒を飲もうとしたことがある。が、台風で流れた。

あの時会えなかった事も、
運命のいたずらだったのだろうか。

それでも、
バスケ部を辞めないでくれと泣いてくれた事。
共に汗を流した記憶だけは、
消せないものとして残っている。

人の死をどう受け止めるかは、
その人がどれだけ自分の人生に、
深く関わっていたか。

結局、それに尽きるのだと思う。

歳を重ねるほど、
こういった報せは増えていくのだろう。

人生とは、出会いよりも、別れを少しずつ引き受けていくものなのかもしれない。



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小学五年の春であった。
学校の恒例行事として、我々は山へ赴いた。そのときの写真が、のちに私の前に現れたのである。

一見して、私は異物であった。
黒と緑のジャージを身にまとった私だけが、体操服の白に支配された集団から、くっきりと浮かび上がっている。

人は軽薄に想像するだろう。
長いバス移動に耐えかね、幼い肉体が裏切りを犯したのだ、と。
だが真実は、もっと瑣末で、そして奇妙に観念的である。

事の発端は、一枚のプリントであった。
そこには確かに「ジャージ着用」と記されていた。
当時の私にとって、ジャージと体操服は決して同義ではなかった。それは素材の問題ではない。言葉の厳密さ、すなわち秩序の問題であった。

私は母に相談し、正しく「ジャージ」を手に入れた。今にして思えば、二つ年上の姉に一言尋ねれば済んだ話である。
だが私は、より抽象的な正しさを選んだのである。

当日、校庭に整列した同級生たちの白い体操服を目にした瞬間、私は己の敗北を理解した。
しかし不思議なことに、狼狽はなかった。

私は教師に申し出た。
家は近く、すぐに体操服を取りに戻れる、と。
それは理にかなった提案であった。
だが却下された。

かくして私は、修正されることのない選択を身にまとい、一人、異色のまま山へと向かった。

登山は、記憶の中ではそれほど苦痛ではない。
写真の中の私は、むしろ奇妙な充足を湛えている。
集団から排除されながら、同時に自らを裏切らなかった者の顔である。

あれは恥であったのか。
それとも、幼い私が初めて触れた「孤独の形式」だったのか。

答えは今も、写真の中の沈黙に封じられている。



これは私が小学5年の頃に学校行事で登山に行った際に起きた出来事である。

プリントには持ち物の中にジャージと書いてあった。だから私はジャージを買ってもらい着て行ったのだが、果たして皆が皆体操服で来ているではないか!


この実体験をブログとして書いてはみたものの、なんかイマイチだな…そう思っていた際に、そうだ!ChatGPTで著名な作家風に書き直してもらおう、そう考えて三島由紀夫風にしてもらった文章である。


文章とAIは今後切っても切り離せなくなるのだろう。今のうちに自分だけの思いを書き残しておきたいものだと切に思う。




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【YouTubeコミュニティで書いた文章の再掲です】

2023年の5月頃にお笑い芸人のある方(じ◯ざ◯ジ◯◯プ)に打ち明けた自己破産の件でしたが、職場の飲み会中に皆がいる前でバラされてとても不快な思いをしました。

ですがそれをキッカケに、借金や自己破産の件も半ば開き直ってネタにするくらいの気持ちでいたら随分と生きやすくなりましたし、それならばYouTubeでも出せるなとも。(その方を許してはいないけど!)

確かに多額の借金(家のローンや車のローン以外)も自己破産も普通に生きていればそう経験することではないとは思いますし、借金してるなんて恥ずかしい…世間体は大事だし周りになんてとても相談出来ない…。

そうやって1人抱え込んでいる方も多いと思います、現に私がそうでした。

38歳時点の私にはもう借金を返済しながら生活していく事は困難でした。
だから法テラスに電話をするという選択を取りました。

でも例えばこの選択、借金を返せなかったらもう死ぬしかない…などと本気で思い込んでしまう程に借金に追われている方は視野が狭くなっている可能性があります。

31歳当時の事ですが、その時は借金や失恋など様々な事で精神的に参ってしまい自暴自棄になった時期がありました。頭から川に飛び込んで怪我をしたり、親に借金を苦に自殺しますと連絡したきり樹海に行こうと試みたり…本当に周りに迷惑ばかりかけました。

今でこそ笑い話にも出来ますが、あの当時は本当に辛かった…。

そんな経験を経た今だからこそ、あの当時の自分が「何か前向きな行動を起こしてみよう…もう少し生きてみよう…!」
観終わった時、そう思えような動画を作ろうと思い至りこの動画を制作しました。

もちろん自己破産をして多方面の企業や個人にご迷惑をお掛けした事は事実ですし、反省する点も多々あります。ですが、それを踏まえた上で敢えて強く言わせてもらいます。

自己破産は【国が認めた借金救済制度】なんです。

実際自己破産なんてそんなに珍しい事じゃないです。破産者マップとか見たら驚く程の人が自己破産してますし、著名人だってこれでもかってくらい自己破産してます。

それだけ強い効力を持つのが破産法ですから、人生崖っぷちの方が使うのは当然の権利ですよね。ですから私は恥ずかしげもなくこれからも動画を上げますし、今後も堂々と胸を張って生きていきます。すべて引っくるめてこれが私の生き様なんです。 

こんな私ではありますが、これからもYouTube応援して頂けるとこの上なく幸せです。

今現在借金で悩んでいる多くの方々と、31歳で毎日死にたいと思っていたあの頃の自分にこの動画が届きますように。


生きる励みにしかなりませんので、チャンネル登録、高評価ぜひよろしくお願い致します!!!


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