阪神大震災から13年目の朝を迎えました。

 高槻市に住んでいた我が家は、一階の食器が少し割れたぐらいで大した被害も受けませんでした。

 今は亡き父母は、当時、須磨に住んでおりました。
 父は、大手術を受けた後で、自宅に戻って療養生活を過ごしておりました。
 
 狭い部屋にベッドを置いて過ごしていましたので、ベッドからテレビを見たり音楽を聴いたり出来るようにと棚を作りました。

 下の図のような棚で、下の空間にベットを潜り込ませていました。

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 出来た棚を分解して持っていき、父の家で組み立てました。
 体力もない父の体にテレビやスピーカーが落ちてきては大変なことになると思い、スピーカーは棚板に木ねじで固定し、テレビも棚に奥に穴をあけてそれに付属の金具でしっかりと固定しました。

 当時は、東海地震の危険性が叫ばれており、盛んに訓練している様子がニュースなどで放映されていました。我々、関西の人間のほとんどは、地震が起こるのは関東方面だと信じていたと思います。私もそう思っていました。しかし、もしも、地震が起きて棚の物が落ちたら大変だという気持ちが心をよぎり、地震対策をとりました。

 棚を設置して、しばらくの後に1月17日を迎えました。ベッドが大きく揺れたので目を覚まし、隣のタンスが倒れてこないように手で支えていました。当時は、ベッドの真横にタンス類を並べていました。幸いタンスは倒れてこず、下敷きになることはありませんでした。
 テレビをつけたら神戸の方面が大変なことになっているようです。あわてて父の家に電話して、テレビやステレオが落ちてこなかったかをたずねました。対策が活きた様で落ちませんでした。食器棚などは倒れて食器がずいぶん壊れたようでした。
 その後、電話は通じなくなりました。テレビでは、最初は3人ほどだといった死亡報告が、どんどんと増えていき、悲惨な被害の様子が報道されました。

 後は、皆さんがご存知の通りです。

「天災は忘れた頃にやってくる。」
 今一度思い出して、自分の周りの地震対策を考え直さないといけないと思います。