今日は大暑、セミの声もだいぶ大きくなってきたねー。
朝、そんなセミたちを探してみた。
家の横手の桜並木はセミたちの高級マンションと化している。
早くから入居のニイニイゼミ
ツーンと超音波のような高い声で鳴く。(鳴くというのには抵抗があるが・・・)
最近になって入居率が上昇中のアブラゼミ
おそらく富山では最も多いセミだ。
「山形領に立石寺と云山寺あり。慈覚大師の開基にして、殊に清閑の地也。
一見すべきよし、人々のすゝむるに依て、尾花沢よりとって返し、其間七里ばかり也。
日いまだ暮ず。梺の坊に宿かり置て、山上の堂にのぼる。
岩に巌を重て山とし、松栢年旧、土石老て苔滑に、岩上の院々扉を閉て物の音きこえず。
岸をめぐり、岩を這て、仏閣を拝し、佳景寂莫として心すみ行のみおぼゆ。・・・」
松尾芭蕉の奥の細道の一説だが、芭蕉の旅の計画では山形の立石寺に立ち寄る予定はなかった。
「立石寺、あそこはいいところだよ。行ってみたらいい・・・」 と人に言われて尾花沢からとって返した・・・とある。
30キロ余り、クルマなら30分ほどだけど、昔だからね・・・7~9時間ぐらいはかかったんじゃないかなぁ。
行ってみたら、もう、サイコー!「閑さや岩にしみ入る蝉の声」、なんて自身の最高傑作の1つを詠んじゃった。
言わない方がいいのかもしれないが、この句は後から何度も手直しして完成した句らしい・・・
初作 「山寺や石にしみつく蝉の聲」
後昨 「さびしさや岩にしみ込む蝉の聲」
これらを経てより精神性の高い 閑さや・・・の句が完成したんだそうだ。
30年前、奥の細道をたどる旅をしたことがある。
松島、多賀城、中尊寺、最上川、新潟・・・感銘したところはいくつもあるが、立石寺はズバ抜けていた。
名所としての素晴らしさ、そこで体験したこと、双方において・・・「あそこはいいところだよ」だった。
借物画像だけど、こんな感じの参道。
喧しいセミの声が降り注ぐ参道を上へ上へ右に左に上っていく。
暑く、息も苦しくなる中、次第に石段を上ることだけしか考えられなくなっていった。
ふとセミの声が途絶え、無(あるいは空)となる瞬間が訪れた。
耳からセミの声は聞こえているはずなのに音として感じない・・・閑や^^!
朝に尾花沢を出た芭蕉が立石寺に到着したのは午後3時ごろじゃなかっただろうかと想像する。
7月なら午後7時ごろまで十分に明るい。「このまま上ってみようか・・・」となったのだろう。
ゆっーくり、休み休み上っている隙はない。わりとハイペースで上って行ったに違いない。
芭蕉もひろやんと同じような体験をしたんじゃないか?
山の上はお堂が点在し、修験道の道場にもなっている。
いくつかのお堂には中に立ち入ることができる。が、怖い!
ところで、この句に詠われている蝉は何蝉?(ここでブログ冒頭のセミ画像に戻ってくるわけだね^^)
アブラゼミだ!いや、ニイニイゼミだ!
大正時代、文壇のジイサンたちの間で蝉論争が起こったという。
実地検証なども行われた結果、ニイニイゼミということになったそうだ。
折しも新型コロナ・ウィルス感染が再び広まってきた今回の4連休、
暑く、セミが鳴いてる今、立石寺は「名句にふれる旅」イチオシなんだけどなー・・・



